パーソナル・コミットメント
朝一番から来客があり、当初1時間お話する予定だったのが気がつけば3時間が経過。
会報ネタにまつわるお仕事だったが、1回分のネタを出すところが3回分以上のネタを提供していた模様(^^;
23日行う講演(定員オーバーの申込により締切ました)も当初2時間想定だったものが、主催者側が「どうせこいつは2時間では話が終わらないだろう」との予測のもと3時間の講演だと配慮いただいたかたちで公開していただいている(苦笑)
時間は飛んで本日の午前1時。
ケータイが鳴り出てみると、久しぶりに大阪の某N社長からの電話。
明日開催する坂口さんパーティについてのことだった。
そういえばこの任意のパーティ、行政系の方々を含む100名ほどの参加申込となっており、かなり盛大な感じになりそう。
Sergiu Celibidache “Richard Wagner: Orchestral Music” MÜNCHNER PHILHARMONIKER
で、昨日書いた↑チェリのワーグナー管弦楽集を本日も感激して聴いてしまっている。
なんでこんなにもひとつひとつの音の出だしと終わり方が美しいのだろうと。
チェリはいったいどんな指導をしてきたのだろう?
マイケル・ポランニー暗黙知理論では、楽器などの道具がだんだんと自身の身体化していくところを説明されている。
楽器がまるで自分の身体の一部であるかのように「用具化(instrumentalization)」した状態となっているプロへの指導には、メロディの歌わせ方やサウンドバランスを指示していく「だけ」なら、チェリのような美しい音楽とはならないのだろう。
ポランニーによれば
この依拠は個人的自己投出[personal commitment]であって、それは、われわれが何らかの事物を自分の焦点的注意の中心に従属的に統合するような、知能(intelligence)の行為の総てに含まれているものである。(『個人的知識』p.57,[]内は咲本)
といわれているように、楽器の演奏とはひとつのパーソナル・コミットメントである。
あっ、ここまで書いてポランニーの理論的説明を書き出すと長くなるので、一切省略する。
でもって、例えばボールが用具化した一流プロサッカー選手がPKによりキックする際には、キックをする場所へ向けての意識よりも脚がボールに当たるその瞬間の感覚に意識を集中させるらしい。
これと同じような自覚的意識(consciousness)が一流楽器演奏家の中でも起こっているはずなのだ。
つまり何を言いたいかというと、一流演奏家への指導としては、音の始まり方・終わり方というところに焦点的注意を向けさせるということが、サッカーのすばらしいキックの結果と同じようなことになるのではなかろうか、旋律の美しい歌わせ方などの指示はもちろん必要にはなるが、あえて細部となる音の始まり方・終わり方という層に焦点的注意を向けさせることがより素晴らしい演奏の結果につながる、そんな指導をチェリビダッケはしていっているのではなかろうかという私の仮説。
あまり言いたくはないが、これはビジネスであっても同じこと。
経営理念や財務的目標をあつく語る「だけ」というのは並のリーダー。
人間のパーソナル・コミットメントの働き方がわかっていれば、細部について焦点的注意が向くような独特の指示をも行うはず。
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