2006/04/28 金曜日

大学院での講義スタイルについて

Filed under: 講演・講義, 読書 — 咲本 @ 23:41:33

4月から「インターネット・マーケティング」という講座をデジタルハリウッド大学大学院で担当している。
他の多くの課目が「演習」であるのに対し、私の受け持つのは「講義」である。

「講義」である以上、多少は大学院生達の知識獲得を考えなければならないのだろう。
だが、いくら知識を獲得したって、それがそんなに役に立つことなのだろうかと疑問を抱き続けている。

そういった疑問があるからという理由もあって、まだ私自身によるいわゆる講義と呼べるものを行っていない。
一部の学生さんは、「“勉強”しようと思って大学院に来ているのだから、先生による講義を聴かせてほしい」と不満を持っているかもしれない。

なぜ私が講義せず、これから与えられた時間も大した講義をしないであろうことの理由の一端を示してくれているのが、レイブとウェンガーの議論である。

状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加 ジーン・レイヴ,エティエンヌ・ウェンガー『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加』


本書から導かれる帰結からいくと、大学院の講義スタイルとしてふさわしいのは、重要な暗記物的知識を単に私が説明するということではなく、ケーススタディなる無菌室での実験のようなものを議論することでもなくなってしまう。

著者たちが言っているように、

学校教育の効率性(教え込み、人格変容における学校の専門化、学校がよく知られているような特別の様式で行う思想の吹き込みにおける効率性)の起源に関する人口に膾炙した主張は、私たちが採用した状況的な見方とは矛盾するという点である。これらすべてに、私たちの学校教育に関する議論はしばしば対照的であり、対立的ですらあった。(p.16)

ということで、典型的従来型学校教育のやり方には明確に対立することとなる。

ではどうすればよいのかというと、

疑いもなく、正統的周辺参加の分析的視座は学習過程に新しい光をあてて、従来見過ごされていた学習経験の鍵となる側面に注意を集めることで、教育を良くしようとする努力を活気づけることがあり得るし、また、そうなることを希望する。しかしそれは正統的周辺参加の概念に処方箋的な価値を帰属させることや、それを「実施する」とか「操作・手順に置き換える」ということとはまるで違うのである。(p.17)

と述べられているだけであって、実際に「手法」のようなものに落とし込もうと説明した途端に、それは「手法」ではなくなるような類のものなのであろう。

そもそも私が著者たちに興味を持った一番の理由は、コグニティブ学派およびラーニング学派に関連する研究を展開していることと、理論展開上、暗黙知理論やアフォーダンス理論、ブルデューの理論、さらには茂木氏のクオリアにまつわる認識論や現象学的認識論なども含めた橋渡し的なところを研究しているのではないかと思ったからだった。

このあたりについて、本の「解説」として福島真人氏が40ページにもおよぶ論文を掲載されている中でも指摘されている。

とくにここで興味深いのは、実践的活動を支える様々な道具類自体に、その実践のエキスがコード化されているという点であろう。この意味では、道具は単に物理的実在というよりは、寧ろ行為者ー道具はそれ自体で一つのユニットとして、社会的実践を行うと考えるべきであろう。この行為者ー道具ー実践の、分離不可能な全体的な配置を次第に構成していく過程で、道具は「透明」になっていく。これはポランニーがいう暗黙知の第一項と第二項、あるいは注意の焦点の近接性と遠隔性という側面と関連してくると思われる。例えば盲人が杖を突きながら歩く場合、最初に感じるのは探り杖から指に伝わる一連の衝撃であろう。しかしそれに慣れてくると、その知覚は、杖と掌の接点ではなく、寧ろ道と杖との接点へと、我々の理解が遠隔化されるようになる。この過程において、探り杖は行為者によって「不可視化」すると同時に、その知覚の範囲はむしろ路面に向けられる事になり、その杖に伝わる振動は、路面の状態の知覚というかたちで、今度はその焦点が「可視化」するという事になる。レイブとウェンガーが道具の透明性のもつ二重性格(不可視性と可視性)といっているのは、この道具による我々の知覚を含んだ活動形式の総体的変容の事であり、そうした配置の変化は、まさに実践の共同体への参加の過程に従って起こるとされているのである。(p.159)

私の関心があったところを、ずばり直球でうまく指摘されている。
少なくとも上記引用文の中だけでも暗黙知理論とアフォーダンス理論との接点が論じられている。

と感心している場合ではなく、講義を受け持っている身としては、理論的関心だけにとどめるわけにはいかず、そもそも「正解」など存在しない講義の現場で待ったなしで「実践」していくしかないわけなのであった。

2 Responses »


コメント

  1. 学生のサイトゥーです。
    「インターネット・マーケティング」最高ですよ♪
    こういう授業が受けたくて、来ているんです!!

    でも、自分が取り組んだ分だけ、得られるものもたくさんあるだろうし、
    手を抜いた分だけ、得られるものは減るでしょうね。
    頑張ります。

    手を抜いても、それなりに得るものはたくさんあるだろうし、
    それで実のところ、拒否もされない。
    ただ、より学生が頑張れるようにするための工夫が
    あちこちでされているのを感じます。ありがたいです。

    「何もしていない」と仰有いますが、
    非常に非常によく練られたスタイルだし、内容だと思います。
    授業としての完成度も本当に高いと思います。

    どんな分野にも通じる内容だし、無駄がないです。
    授業、楽しいです。非常にやりがいあります。

    コメント by サイトゥー — 2006/04/29 土曜日 @ 14:12:45

  2. 斉藤さん、おおきにです。
    お褒めいただきましてもなにも出ませんが(^^;

    今後どんなふうになっていくのか私自身もシナリオが描けていませんけれど、「場の力」を信じています。
    それといい意味で授業内に裏切りを持っていきたいと思ってます。

    コメント by sakimoto — 2006/04/29 土曜日 @ 22:23:33

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