プライベートメモ~『ケータイ研究の最前線』
大澤真幸:
今までの普通のコミュニケーションっていうのは、まず玄関から入って、内面にだんだん近づいて、お互い近いって感じるまでにすごい時間がかかるわけですよ。ところが、ケータイによるコミュニケーションというのは、言ってみれば常に身体に装着しているわけですね。そしていきなり、最も近いところから入ってくる、そういう感覚なんですね。(p.32-33)電車の中でケータイを使われると腹が立つというのは、おそらく僕はそういう空間感覚の歪みみたいな事だと思うんですよ。そこだけ別の空間が露出してしまっているということの違和感と言いますか。(p.39)
室井尚:
ケータイのユーザーというのは、何にも用事のないときも手を動かして、友達にメールを打っているわけですね。これは決して生活を楽にするものでもなければ、合理的にするものでもない。純粋にこのこと自体が快感になっているんですね。(p.71)水島久光:
ある種の秩序を前提としてリニアな情報の流れを作り出す「放送」と、それを霍乱する「通信」は、その一方で、時空間に「開かれた」もの(放送)と、当事者に閉じたもの(通信) という姿も併せ持っている。メディアの融合とは、こうした秩序化と反秩序化に対応する空間の「開かれ」と「閉じ」の相補関係の安定を解くことを意味するのだ。(p.87)小池龍太:
コミュニケーションという営為を手のひらサイズの箱に集約することで我々の身体とも文字通り肌身離さずほとんど一体化したこのメディアに、我々がその他のあらゆるコミュニケーションを集約しつつあるということは、ケータイが「ブリコラージュのメディア」であること以上の意味がある。すなわち、人間の拡張であるメディアが人間そのものへと反転していく、そのひとつの過程として、あるいは集約点として、今日ケータイというメディアが存在しているのだということである。(p.196)
夜8時から社内呑み会開催。
その後二次会のカラオケへ。
終了後会社に立ち寄ると、まだお一人仕事中だった。
恐るべきことにも、当社の場合には終電の出る0時半付近まで普通にありうる。
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