2006/01/03 火曜日

ビジネススクールの不毛なケーススタディ演習、未熟なマネジメント論

Filed under: 読書, 経営戦略 — 咲本 @ 00:12:04

おそらくは世の中は学校名こそ命でありたいと願っている方から、匿名で下品極まりないスパムコメントが舞い込んできた。

「一橋ビジネススクールや東大は無条件的にすごいのじゃ、ボケ~」と、こんな単なる罵声でしかないものが書き込まれたままだと危険サイト扱いされてしまうわ。
そもそも別な意味で危険な発言を私がしているということはあるにせよ(笑)

このサイトは2chではないわけなので、もちろん強制削除。
とあるビジネススクールの学生さん達の検索結果に当ブログが反映されやすく、まあ気持ちもわからないではないが。

いずれにせよ、私は親切な性格なので(笑)以下、下品な匿名のビジネススクール学校名至上主義たるスパマーさんがもうちょっと物事を深く考える参考となるよう、ミンツバーグ『人間感覚のマネジメント』からの引用を紹介しておいてあげよう。

人間感覚のマネジメント 『人間感覚のマネジメント―行き過ぎた合理主義への抗議』


その上で最後に、これまた引用によって私が目指したい方向性も示してあげる(笑)
まあスパマーさんにはまともな反論はできないはずだろうが、書籍の控えとして個人的に残しておくことが目的なので。

なぜマネジメントの領域にいるわたしたちは、このように未熟で包括的な対策の処方に固執し続けるのか。そのために今世紀を通して何回となく道を踏み外してきたはずである。参加的経営がそうである(服を着替えるようにリーダーシップ・スタイルを着替えよ)。戦略的計画立案がそうである(チェックリストによる創造性)。あるいは昨今のボトムラインへの妄念がそうである(製品ではなく、市場でなく、さらには顧客でもなく、利潤自体をマネージすることによる利潤追求)。またもやもう一人の財務論担当の教授がやってきて、マネジャーたちが自分の講義に退屈するのは程度が高すぎるからだと言い張る。もうごめんこうむりたい。(p.138)

あなたがハーバードの若く熱心なMBA学生だとして、ゼネラル・モーターズ社か三菱グループに関する事例をこぎれいにまとめた20ページの小冊子を手渡される。翌日の授業で使う他の事例といっしょに前の晩に読んでおく。このようにして十分に準備したうえで教室に臨み、デトロイトのGM社員や遠い日本の企業幹部が、彼らの問題を解決するのに何をするべきか議論する。無知を、知識不足を、口にしてはならない。優れたマネジャーは決断力の持ち主だから、したがってマネジメントを専攻する優秀な学生も自分の立場を決断しなければならない。ゼネラル・モーターズ社の環境が査定され、その独特の能力が確認され、代替的戦略が提案され、これらの戦略が評価され、そして一つが選定されなければならない。すべては80分が経過して授業が終わるまでにである。すべてはあのこぎれいにまとめられた20ページの小冊子に基づいている。こうしたことのすべてがMBA課程を通して何百回と繰り返される。その結果を想像してみるがよい。
もちろん、学生諸君は自分たちの選んだ戦略は実施はしない。できるはずがない。しかしそれでもかまわないとされる。なぜなら、教授が編成と実施とを都合よく区別してくれるからである。よく知られた教科書を書いたハーバードの著者たちが言うように、「順序立った説明のため」以外に何の意図もないかもしれないが、それでも明日の産業の総帥たちが、優れたマネジャーとは簡潔な報告書を素早く読んだうえで、一度もオフィスの外に出ることなく、高所から託宣を下す人物であり、自分たち以外の全員は下のほうで託宣の実施に走り回るという印象を刻みこまれるとしても不思議ではない。そして日本の成功の秘密は、まさしく彼らがこうした点で物事を正しく実行していることにある、というのがわたしたちの考えである。(p.139-140)

MBAの学位は、組織が現に実行している物事を迂回し、組織生活の現実をまたいで、その抽象へと飛躍することを許す、一種のライセンスである。抽象の世界では生来の直観がたとえ現に存在しているとしても、発達の機会はほとんど与えられない。このことはマネジメント実践への「浅薄な」、そして皮相的な、アプローチを助長する。これが今日アメリカ企業が直面しているある種の問題の根底近くに潜む原因であると考える。(p.141-142)

組織が実行する重大事は一般的に言って二つしかない。物をつくり、物を売ることである。物をマーケティングすることでもなければ、物を計画立案することでもない。物を統制することでもなければ、閑静な保養所で話し合うことでもない。大量のデータをコンピュータに入力することでもない。単純に物理的に何らかの物をつくり、あるいは何らかのサービスを用意し、そのうえでだれかにそれを買わせるか、または使わせることである。それゆえ、この国のMBA課程はこれまでにほとんど何もつくったことのない、あるいは売ったことのない人々を受け入れて、将来も決してそのようなことをしなくて済むように保証していると言っても、過言ではない。(p.142)

以上をふまえた上で、経営大学院の名前が世間的にメジャーであればあるほどレベルが高く、現場での実力も上だというのであれば、言ってみなさい。

私は下記のような方向性を専門職大学院の現場で目指したいわけなので、そこも考慮して発言してもらえると尚よろしい(笑)

わたしが理想とするマネジメント教育とは、一つの産業のなかでつくったり買ったりすることを十分に体得した、実力の証明されたリーダーたちを受け入れ、彼らの暗黙的な知識と生来の直観の上に技能開発、概念的知識、それに実践的技法の最良の成果を重ね合わせて、彼らがまさによく知っている物事について、あらためて新鮮な視点を持てるようにすることである。しかしプロフェッショナル・マネジメントの名の下に広まっている皮相的な知識を広めることだけは避けようではないか。一言で言って、わたしたちの組織はあまりにも重要すぎて、そんなことをしている暇はないはずである。(p.143)

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