シュヴァンクマイエル「アリス」と百鬼夜行
土曜日だということもあって以前購入したままになっていたチェコのというかアート・アニメ界の巨匠と言われるシュヴァンクマイエルが、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』を題材に人形と実写を組合せた初の長編作品となった『アリス』のDVDを観た。
何度も断っておくガ、私は映画をあまり観ないし特別好むわけでもない。
が、まだ作品を観たこともないくせにシュヴァンクマイエルの存在だけは前から気になって仕方がなかったのであった。
シュヴァンクマイエルの作品のことを知っている人なら、人形を使ったちょっとグロテスクな映像を作る変わり種の作家だね、という印象になるのかもしれない。
数多く作られている短編集を観れば確かにそのような印象になるのかもしれないが、こちらの作品は長編でしかもキャロルの原作をベースに作られたものということもあり、そんな単純な印象を残すだけのことにはならないだろうと観てみたくなったわけ。
登場人物はアリス役の子供だけ。
それ以外に登場する人形の映像は気が遠くなるほどの作業で重ね合わせていくことで動画に仕上げている。
ナンセンスとはいえストーリーがあり、しかも登場するほとんどが人形なのでグロテスクで観てられないということにはならななかった。小さな子供が観ると怖がるかもしれないが。
第一印象。
これは西欧(東欧だ!)の「百鬼夜行だ」!
ちょうど先日、高台寺のライトアップで百鬼夜行をテーマにされたものを観てきたために、余計にそう思った。
http://blog.tokeidai.net/notebook/event/kodaiji_hyakkiyakou/
つまりはモノにも魂が宿っている、粗末にして放置していると化けて出てくるのだ。
これは仏教的にまったくの真実であって怖いことでもグロテスクなことでもない。
先人には化けて出た様も見えるような人も多く、それが絵になって「百鬼夜行絵巻」として残存していたりする。
近代科学や客観性という幻想を信じるようになった私たちの眼が見えにくくさせていっているだけのこと。
そんな世界を垣間見させてくれるこの作品には、何度も観たいと思わせるだけのものがあった。
アリスが机の引き出しを開けようとして、把手が取れてしまうシーンが何回も登場するが、こういった手法も物語に引き込ませていく特別な効果があるのではないかと思った。
また、アリス以外が全て人形だというところが、かえって不思議の国のナンセンスな現象が頻発する世界に入り込んでしまったというリアリティを持たせることに成功している。
先日の大学院講義内でちょうどレトリック(修辞法)がマーケターには重要なんだということを説明していたわけであるが、この作品はレトリック的表現の宝庫のようなものだ。
先人達はレトリックの豊かな世界に生きていた。
私たちの生活にももっとレトリック的なものを多く取り入れたり、レトリックを感じやすい環境にもっていってもよいのではなかろうか。
追伸
せっかく抽選に当たっていたのにファッションカンタータfromKYOTOに行けなかった。
石原さとみさん、行けなくてごめん!(何でやねん!)
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