切除した5箇所のうち4つは小さめのポリープで、こちらは全て良性線種であった。
問題はあと一つの大きなポリープである。
結果はポリープ自体は良性線種であったが、粘膜内側の一部がガン化していた。ただリンパにもいっておらず、今回の手術で組織を完全に切除したので、ガンの転移のリスクは全くないとのこと。
ひとまずは大事には至らずよかった。
これからは他人よりポリープができやすい体質のようなので、一年に一度、この大学病院で内視鏡検査を行っていくこととなる。
まあこちらで検査をしてもらえると、いざ新たなポリープが発生したとしても、設備と医師の知識・経験とも十分なので、今後のことを考えるとかなり安心できる。私には少年の頃から早死にするのだろうとなという漠然と思っていた。
私は親父に似たところが多いと指摘されてきたが、その親父を41歳で失っていることが影響しているのだろう。9年前に交通事故で大たい骨複雑骨折と脳挫傷を起こした時も、ああこのまま死ぬんだろうなと思ったし、前厄の時に酒の呑みすぎがたたって急性すい炎で入院した際もいよいよ死ぬのかと思った。
そして後厄に今回の大腸ポリープ発見。まあ不摂生できたからこのくらいのことがあっても当然だと思ったし、いよいよ死ぬのかとこの時も思った。
しかし予想に反してまだ死んでいない。
私からすればまだ生きていることのほうが不思議にも思える。
いや生きているというよりも、今のところまだ「生かされている」といった感が強くある。だから、神なり仏なりが寿命だと認定した時点で、私はいつでも「死」をすんなりと受け入れることができる。
ふりかえってみると、精神的には42歳のオッサンになった現在でも、青年の頃と何も進歩していないように思える。
肉体的には明らかに衰え、見た目に至っては、たとえば頭は明らかにハゲていっているし、右足の骨折はまだ完治していないので走ることができず、左足には数十箇所もの火傷の痕が残っている。右足とお尻には手術の大きな傷跡もくっきりと残ったままだ。
こういうふうに、年を重ねてもロクでもないことばかりのように思える。
でもひとつだけ変わったなあということがあって、それは「死」の恐れがなくなったこと。
いつ死ぬことがあっても、それが私の寿命だとあっさりと受け入れることができるようになってきている。今回の大腸ポリープについても病理検査がいかなる結果となれ、このブログに書いているだろうし、そもそも健康診断で異常があってから以降のプロセスは、すべてこのブログに書いてきているはず。
結果がどうであれ、隠したいとかそんな気持ちは毛頭ない。自分自身ではやさしいおじさんのつもりなのだが、人によっては私のことを怖がったりするのも、そのようなところにも一因があるのかな?




















「憎まれっ子世にはばかる」
やな(^0^)
田辺聖子曰く「この世のモンはみな神さんからの借りもん」。
同じ思想がミュージカル「RENT」のテーマ。いつかは必ずお返しせんならん日が来るわけで
だからこそ大事にせなあかんのでしょうね。
先日、実の父が亡くなりました。
葬儀のとき和尚は、亡くなった人が皆さんに話すとしたらどんな言葉だと思いますか?
それは、皆さんもいつかは死をむかえる。しかも、その時期は、今日か、明日か、数年先かわからない。死がいつか来ることを認識してほしいと思う。。。
そんな話しを聞くと、自分にはやり残した事があるのでは。。。
人生一度、無理せず、良かった人生と言えるように頑張りましょう!借りもんやから、いつお返ししても私は構わんのですよ。
返すことを惜しいとは思わなくなったのは年齢のせいでしょうかねえ。
死について自分自身のこととして何度も強く認識することがあると、ほんま考え方が変わってくるもんですわ。
少なくとも死の恐怖というのはなくなってきます。
とりあえず、一緒に美味いモン食いに行くまでは
お互い元気でおりましょか危ない危ない。
それにしても、見つかってよかったです。安心しました。
私の知り合いは、発見されてから3ヶ月で逝ってしまいました。
咲本さんは、危ないところまで行っても必ず帰ってくる運の強さがあるのかも。
仕切り直しで頑張りましょう!
そやね。
おいしいもの関西だけでもいっぱいあるし、元気でないとおいしいものも楽しめないですからね、
今回は会社の健康診断に助けられました。
不幸中に幸いというか、なんやかんやでセーフだったみたいなプロセスをある意味で楽しんしまってます。
さきほどまで番組の占いの先生と食事していたのですが、今年は私はかなり悪い年だそうです。
今回のことですでにその悪いところを出し切ったかもしれません。
てな具合に楽天的に生きていくことにしております。
僕は、まだ死ぬということをすんなりと受け入れられる精神年齢ではないてすねー。
やっぱり、いくつかの大きな山を越えることによって、
そんな感じにシフトするんですかねー。でも、年下の僕が言うのもなんですが、
年上の方を含め、何も挑戦していない人に限って
小さなことにくちゃくちゃされている姿を目撃することが多く、
少々腹立たしく思うことにも繋がるのでしょうか。
何もしてないから、何も達成していないから、
何にも挑戦していないから・・・
“死”が怖いんですかね。。。
何もしてない、何も達成していない、何にも挑戦していない
このような人は死についてはもちろんのこと、世の中で怖いと思うことが多いでしょうね。
でもそんな人達が全体の95%以上を占めているような。。。
多数決の世界でしたら圧倒的多数でこのほうが普通なわけで、私は単なる変人ということになってしまいますね(^^;
さて、そんなことより、今このブログを拝見して、そういうことだったのかとホッとするやら、恐いもんだなと思うやら…複雑です。
でも、とりあえず咲本さんが無事で良かった、ということが一番です。「生かされている」というのは、不思議な感覚ですよね。
実は、私もそう感じています。別に、咲本さんがこういう話をしたからではなく、少し前から。。そうなると不思議と、風邪もあんまり引きません。怪我したり、どこか悪かったりというのは、何かの理由であるかもしれない。けれど「生かされている」と思っている人って、どこか「健全に生きている」部分が、あるものだと思うのです。心というのか、魂というのか。
中村天風さんの「魂」と「心」を分ける考え方って、私にはわかりやすいのですが、そんな考え方を借りると、「魂」が生かされ、「心」(と場合によっては「体」も)が生きてるっていうことなのかもしれません。
なんにしても、咲本さんが死を恐れてないのは、まだやるべきことが残っていると、知っていらっしゃるからだと思うのです。つまり、まだ「死なない」と。恐れると、ビビリます。お互い、まだ用が残ってるよと、誰かが言ってるのだと信じて、フツーにやることやってきましょ。
ま、いずれにせよ、節制はせなあきませんわな。これも、お互い。
では、また。> なんにしても、咲本さんが死を恐れてないのは、まだやるべきことが残って
> いると、知っていらっしゃるからだと思うのです。つまり、まだ「死なな
> い」と。恐れると、ビビリます。お互い、まだ用が残ってるよと、誰かが
> 言ってるのだと信じて、フツーにやることやってきましょ。
うっ、するどい。。。