「高尚」とは?
二日連続で薪能に行こうかとも思ったが、初夏の夜の幽玄な感じはいいのだが地面に近い高さのなんのクッション性もないところに連日にわたって腰掛けてとなるとキツいのでやめた(笑)
そのかわりというわけでもなんでもないが、今月の土曜日に楽しみな予定を2つ入れた。
ひとつは抽選に申し込んでいた「ファッション カンタータ from KYOTO」が当選したので17日(土)観に行く。特別出演は石原さとみ←オッサンやのにそんなに喜んでどうする?(^^;
もうひとつは京都市交響楽団創立50周年と東京交響楽団創立60周年を記念して行われる24日(土)の合同コンサートのチケットを購入した。
曲目はなんとシェーンベルク「グレの歌」!!
2つのオケが合同しないと足りない大規模編成が要求され(5管編成)、プラス大合唱団、5名の独唱、語り手といった総勢400名の出演者で繰り広げられる。
演奏時間も2時間を超えるもの。
ということで滅多なことでは演奏されることのない後期ロマン派の極致ともいうべき生演奏が聴けるチャンスを発見して迷わず申し込んだ次第。
で、こんなコンサートに行くといえば最近複数の人達になぜだか「高尚な趣味をお持ちなんですね」と言われてしまった。
クラシックを聴くのが好きなのは高尚なのかなあ。。。
私自身はそんなこと意識せず至って自然に楽しんでいるのだけど。。。
そもそもよくクラシックを聴くようになり始めたのは中学生からで、生まれ育ったのはどちらかというと貧乏な家庭だったので、上流階級のたしなみとかそういったことではない。
小学生高学年の頃は戦前・戦中とかの古くさいジャズが好きで毎日のように聴いていた。
だからこの時期には将来ジャズクラリネット奏者になるのが夢だった(^^;
それが中学生に入ってから趣味が徐々にジャズからクラシックへと変わっていっただけ。
一般的には人気歌謡曲またはロックが好きになるというのが多いのだろうが、歌詞に大きな比重があるものではなくて、音そのものを純粋に楽しむ世界を強く音楽に求めていたんだと思う。
それはエレキギターという選択肢でも同様だといえなくもないのだろうが、ロック系の音楽はコードが単純、ダイナミックレンジも少なく、ひとつひとつのサウンドの厳密性と多様性、繊細さ、ダイナミックさにおいてやはりクラシック、とりわけ大編成オーケストラのほうが圧倒的に楽しめるということになるのだ。
音だけならまだしも、当時歌詞に「愛してるぜ」なんていうクサいセリフが必ずどこかに出てきそうなジャンルでは、私自身は「鳥肌が立って感動しっぱなし」ということにはとてもではないけれどなれなかったわけで、そんな感動の世界を提供してくれるのがクラシックだったわけだ。
クラシックは基本となる音楽理論がしっかりと確立された上に構築されるものであることは間違いないのだが、私のような素人が楽しむのにはそんな理屈が何もわからなくても楽しめる。
とはいえ理屈もついでに少しくらい知っておけば、余計に楽しみやすくなるかもしれない。
昨日観に行った薪能でも演目のあらすじや能独特の表現技法を知らないよりは知っておいたほうが楽しめるのであろう。
私は後追い的に本家本元の世阿弥の本やたまに読む白洲正子の本などで知識を得ようとするが、だからといって楽しみの度合いがより大きくなることと、鳥肌が立って感動することとは直結するわけではない。
そんなこと何も知らなくても、純粋に繰り広げられる舞台表現と音楽とで理屈抜きに感動したりするものなのだ。
そんなふうにモノ・コトに接していきたいと中学生以来ずっとこのかたきているので、例えば映画を観るということでも、テレビドラマにありがちな筋書きの面白さと俳優の人気度である程度の評価が決まるようなものには全く興味がなく、映像表現そのもので惹き付けられるようなものでないとわざわざ観る気が起こらない。
その際に理屈があったほうがよければ、そんなものは後追い的に付け加えてもよい程度。
理屈ではなく激しく感動したいという私の接し方が「高尚」なわけなどなく、高級低級という高さは関係ないのだ。
ただし、そのような接し方をしていて「ビビッ」ときたクラシックの名演奏に、「どうしてこのように激しく魂を揺さぶられたのか?」と自問し、いろいろ調べていく中で後追い的な理屈として説明できるようにすることは「高尚」なのかもしれない。
さらにはこのことをビジネスについての理論的ななにがしかに応用するとなると、これまた「高尚」かもしれない。
もしこのようなところにまで発展させるとなると、誰でも知っているようなものでないほうが、言っては悪いが手垢にまみれていないがゆえに有利な場合が多いわけだ。
例えば、阪神タイガースを理論の事例にすると、あまりにも俗的で偏った意見も平気で飛び交っているがゆえに誤解を生じる可能性が高くなるから、理論を語るのには不向きなのである。
ここまで説明してきたことで私が高尚な趣味を持ってはいないが、あとあと趣味以外のところで高尚なところに応用する可能性はありうることがわかっていただけたものと思う。
もうひとつ、先に理屈があってアートに接するというのと、アートに接して感動してから後追い的に理屈を求めるというのとでは、結果が似ているようであって全く別物だと思う。
もちろん先程から説明しているように私は後者のほうなのだが、前者のほうの評論家・学者が世の中には非常に多い。
ミーハーでウケねらいを求めて、剥がれかけのメッキを施してそれらしく見せようというのが特徴の人達。
例えば内田樹や四方田犬彦のスタイルなんてまるっきりそうだし、最近読んでいないから不明ながら初期の中沢新一なんてのも典型的パターンといえる。
蓮実重彦はボーダーラインぎりぎりセーフ、浅田彰は理屈っぽいイメージがありながら意外とそうではない。
とりわけ内田、四犬田両氏には坂口安吾のエッセーあたりから学んでほしい。(って私が言ってもウケねらいの性格はそう簡単には治らないだろうし、そもそもミーハーなスタイルが好きなのだろう)
要は前者と後者とでは似て非なるものであり、前者に該当する人達の言説っていうのは、流行のファッション程度のものとしか考えられないし、高い低いならぬ浅い深いでいうならば、明らかに「浅い」ものなのだ。
今まであまり意識はしなかったが、本日改めて考えてみて、この日記がちょっと整理した私自身にとっての覚え書きとなったかも。
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私もカンタータ当たりました。
15時の回です。
コメント by 若女将みほこ — 2006/06/03 土曜日 @ 09:09:38
おっと、オオバはん、お久しぶりです。
ハガキを見ましたら開演6時と書いてありました。
複数回行われるなんて知らんかったです。
コメント by sakimoto — 2006/06/03 土曜日 @ 16:26:27
ダンナが某所経由でチケット手に入れてますが
私は自力で当てました(笑)
コメント by 若女将みほこ — 2006/06/11 日曜日 @ 20:43:51