ブラームス:交響曲全集シュトゥットガルト放送交響楽団
チェリビダッケ(セルジウ)指揮
チェリビダッケの演奏は、私が中学生の頃ロンドン交響楽団との来日公演を聴きに行ったのが初体験であった。
その時の曲目のひとつがブラームスの交響曲第1番。
当時、筆舌に尽くしがたい衝撃と感動に襲われた記憶が未だに残っている。今は亡きこの孤高の天才ともいうべきチェリのどこに心が揺さぶられるのか?
少年の私にはまだまだわからなかったが、今になってみるとなんとなくわかるような気がする。そのひとつに、「ひとつひとつの音が生きている」こと。
この場合の生きているというのは、例えば目一杯のフォルテシモで「ジャン!」と音を出したとすれば、それは音符どおりに音を鳴らしたことになってはいても、音を響かせてはいないし音に魂が宿ってはいない。つまりは、ひとつひとつの音には始まりがあり終わりがある。
その音のはじまり方、音の延び方、音の終わり方、これら全てにまるで生物の誕生から死滅までの美しさとでもいうようなものが備わっているのである。単に「ジャン!」と鳴らせてしまうだけの音には命がないとでもいえばよいのだろうか。
チェリの演奏には音ひとつひとつに命があるかのように私には聞こえる。
この音ひとつひとつは単独で響いていることもあるだろうが、大抵の場合には複数の音で奏でられることになる。
二つの音が響き合うところに俗に言う「ハモる」ということが起こる。音の組合せによって、しっかりハモったり、あまりハモらなかったり、反発しあったりする。
チェリの場合、複数の音同士のハモったサウンドをしっかり味わえるようにするためなのか、よくあるテンポと比べると、明らかにゆっくりとした箇所が見受けられる。
これがまたたまらなく気持ちがよい。
しっかりサウンドを味わえて、しかもそのテンポの遅さを不自然には感じさせない。
チェリの音楽は、他に好きな指揮者も存在するにはするが、私の中では特別な存在。
録音を極端に嫌ったこの天才の演奏を、今こうやってCDで聴けるというのは本当にありがたい。それにしても、昼間からCDを聴きながら涙をボロボロ流しているなんて、とても贅沢なことをしているのかもしれない。




















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音楽って不思議なもんですね。
言葉に頼らず、ココロを激しく揺さぶることができるなんて。