CGMが旬のキーワードであるとの誤解
26日は弊社代表の市川と大手ネット系代理店のオプトさんにおじゃまして、そちらのクライアントさま相手に講演をさせていただく機会をいただいた。
そこで冒頭に代理店さんからなされていたお話の中に、今年旬となるキーワードが3つあり、それは「動画」「モバイル」「CGM」ということだそうだ。
なるほど3つともよく耳にするワードではあるが、私自身は単なるワードではなく「キー」となるワードとして「CGM」という言葉を挙げることには疑問をもっている。
いうまでもなくCGM=Consumer Generated Mediaということなのであるが、そもそも消費者がメディアを生成するなんてことなどあるわけがないし、あってもらっても困る。
メディアとは不特定多数の人達によって自動的に自然と出来上がっていくというものではない。
そこにはある特定の個人による「編集」という視点もあるだろうし、どういった方向にもっていきたいのかという「思想」も含んでいるべきものなのだ。
だから、今後いくら技術がすすんでいったとしてもGoogleが自動化技術によってメディアを作るということはありえないし、ましてやブログ・ポータルサービスがメディアであるなんてことなど、そもそもありえない。
『「みんなの意見」は案外正しい』 というCGMやWEB2.0の流れを持ち上げる本が出ているが、ある方向にとりまとめようとする編集者的価値観のフィルターを通しての「みんなの意見」は大いにありうるものの、何か放置しておくだけで勝手に「みんなの意見」が発生していき、それが「案外正しい」なんてことが起こったことは歴史上まだない。
逆にそれは衆愚政治をまねくことにしかならない。
CGMやWEB2.0はインフラ的な便利機能となる可能性のあるものを提供はしてくれるが、だからといってそれはあくまでも機能であることにしかならず、単なる機能であるだけのものがそれ自体によって何か高い価値を生みだすということはない。
重要なのはいかなる機能があろうとも、その機能に載る有用な「情報」のほうである。
だから、映像を流せるという「機能」をいくらテレビが持っていようとも、元となる「情報」のほうは新聞のほうが持っていたりするがゆえに、案外今でも新聞社のほうが力を持っていたりする。
じゃあIT系で自ら情報を取りにいっている会社があるかというと、残念ながらまだそのような会社は存在しない。
あくまでも機能やインフラを提供しているにすぎないのだ。
機能とインフラしか存在しないものは決してメディアではない。
・・・てな話を帰りのタクシーの中で弊社代表としていた。
講演を聴いていただいた方には申し訳ないが、人によってはこちらでの会話のほうが、ある意味興味深い内容だったかもしれない (^^;













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