2007/01/08 月曜日

なぜかココロに染み渡る歌唱―小椋佳コンサート「未熟の晩鐘」

Filed under: (主にクラシック)音楽 — 咲本 @ 07:48:22

弊社の顧問をしていただいている方にお誘いいただき、小椋佳のコンサート「未熟の晩鐘」に行ってきた。

62歳にしてなんと31都道府県合計41回も敢行される全国ツアーの最後2回を飾るNHKホールでのものだった。
正直なところお誘いをいただかなければ出向くことがなかったかもしれないコンサートではあったが、会場はぎっしり満員御礼状態、年配の方々から絶大なる支持を受けていることが如実にわかる。

東大法学部卒で現・みずほ銀行の支店長まで勤め上げられた銀行マンであったことは有名であるが、人気歌手への楽曲提供も300曲を超えるとのこと。
有名なところでは、布施明の「シクラメンのかほり」、梅沢富美男の「夢芝居」、美空ひばりの「愛燦燦」などがある。
コンサートから帰り、メシを喰ってしばらくするといつもとは違い眠気をもよおし、すっと深い眠りに入っていくことができた。
朝自然に目覚めるととても爽快である。
これは小椋佳のコンサートの影響なのだろうか。
いやきっとそうだろう。

「癒し」という使いまわされている言葉で表現しきれない何かが小椋佳の歌唱にはあると思う。
まったく無理を感じさせずいつも穏やかなのではあるが、ただボサーっとしたのっぺらぼうに穏やかなのではなく、その奥には深い深い哀しみや厳しい試練を乗り越えてきた上での穏やかさのようなものを感じる。
だからシンセサイザー系のヒーリング音楽とは質のまったく違った癒しがそこにはある。

なお、小椋佳の楽曲を聴きたい人は、iモードの「着うたフル」でも楽しめるようになっている。
↓↓ のQRコードから「まるステフル」で約80曲がフル楽曲でダウンロードできるので、是非たくさんの人に楽しんでもらいたい。
まるステフル

懐かしの名曲を含むベスト盤はこちら↓。

小椋佳『ゴールデン☆ベスト』 小椋佳『ゴールデン☆ベスト』

今回の全国ツアーと同名のニューアルバムはこちら↓。

小椋佳『未熟の晩鐘』 小椋佳『未熟の晩鐘』

2007/01/07 日曜日

利益――「りえき」と「りやく」

Filed under: 読書 — 咲本 @ 01:18:26

京仏壇の小堀さんところにお邪魔している際に、とある話の中から「利益」(りえき・りやく)ということばの意味についてお教えいただいた。

また、「利益」を含むさまざまな仏教由来のことばがエッセー風にとりまとめられた本をいただいた。

仏教が生んだ日本語 大谷大学[編]『仏教が生んだ日本語』

この本によると、利益というのはもともとお金儲けのことというわけではない。

利益(りやく)ということには、自分が利益を得るということだけでなく、他の人を益するということ、恵みを与えるということがなければならない。仏教では、仏の教えに生きて得られた恩恵を、自利・利他の益(やく)として明らかにしている。自ら利益を得ることは同時に、他の人びとを利益することでなければならない。それが菩薩の精神であり、実践である。

このように菩薩の精神、実践によって得られた恩恵のことだとすると、 「菩薩」と呼べるというところがたいへん重要であるともいえる。

この本で「菩薩」という項目の中から一部を引用すると、

ただ単に自らの覚りを求めるだけではなく、広く衆生の覚りの手助けをする人、人々の救済に懸命になって、自らの身をすり減らすような人、そうした人がよく菩薩と呼ばれる。

ということになってくる。

菩薩というと一見聞こえはよいが、 実は自らの寿命を縮めてしまったり失うくらいの覚悟をもち、自分のことはさておいて人々のために懸命になっている姿のイメージなのである。
そのような自らの命を投げうった実践をひたすら行っていくことが、「一隅を照らす」ということにも繋がるのだろう。

では、そのような実践を行おうとする方向と、昨日のエントリーで取り上げた「個人主義」ということとは矛盾しないのだろうか?

私は矛盾しないと考える。

個人主義といってもこの場合にはエゴイズムのことを言っているわけではなく、リバタリアリズムのことを言っていたわけで、利益(りやく)という側面からいえば、悪しき業界慣習をぶち壊してそれによって多くの人々に利益をもたらすということにも繋がるわけなのである。

2007/01/06 土曜日

自由と大義

Filed under: 雑記, 読書 — 咲本 @ 05:50:54

私は個人主義者だ。
見た目はただのハゲたオッサンだけど、自分のことがとてもかわいいし、とても大切だと思っている。
自分のことをさしおいて社会貢献することなんてサラサラないだろうし、逆に社会からあれこれと強制されるのも御免蒙りたい。
何よりも「自由」を愛する。
源泉徴収されることはヒドく腹が立つ。

だけど、個人主義とエゴイストとはまったく違うものだと思っているし、そもそも個人主義こそ民主主義の根本原理ともいえるものなのだ。
その点、現在の民主主義は国家権力があまりにも大きすぎる点や、国家による免許制度や規制があまりにも多すぎる点で、私にとっては理想的な個人主義の社会であるとはいいがたい。

このような立場は何も私一人だけが言っていることではなく、実はオバタリアンならぬリバタリアンと分類される古今東西の知識人達が展開する自由主義の立場でもあるのだ。(リバタリアニズムlibertarianism)

たとえば、その中に分類されると言ってもよい「自由な社会」を追求したノーベル経済学賞受賞のF.A.ハイエクによると、

真の個人主義は民主主義を信じるだけではなく、民主主義の理想は個人主義の基礎的原理を源泉とすると主張することもできる。(中略)個人主義は、民主主義のもとにおいても、他のどのような統治形態のもとにおいてと同様に、「強制による支配の領域は固定された限界内に制限されるべきである」と信じる。そして個人主義はとくに、世に流布している民主主義のあらゆる誤解のなかでももっとも致命的で危険な誤解――われわれは多数派の意見を真実で将来の発展に対して拘束力をもつものとして受容しなければならないという信仰――に反対する。 民主主義は多数意見が共同の行為を決定するという協約を基礎としているのではあるが、そのことは、今日多数意見であるものが一般に受容される意見になるべきであるという意味では決してない。仮にそうなることが多数意見の目的の達成に必要であるとしてもである。それとは反対に、民主主義の正当性の全根拠は、時の流れのうちに、今日はほんの少数の意見にすぎないものが多数意見になることも可能だ、という事実にもとづいている。
「真の個人主義と偽の個人主義」(『市場・知識・自由―自由主義の経済思想―』p.37)

補足しはじめだすととても長くなりそうなのでごく簡潔に付け加えておくと、私はハイエクの理論を全面的に支持しているわけではないが、上記引用箇所については賛同している。
これに本来なら「平等」ということも付け加えて話さないといけないのだろうが、これもとても長くなるので省略。
少なくとも私は国家による手厚い年金給付制度のような社会民主主義的・福祉主義的な「平等」の立場には賛同しかねるとだけ付け加えておこう。

このようなことを日々ふと考えるのは、実は事業にまつわることにもかかわるのであった。

たとえば、ハイエクも上記、真の個人主義に関連して次のようなことを言っている。

なによりもまず私は、ことが或る特定の産業部門の利害に関係するときには、多数意見はつねに反動的、停滞的な意見であること、そして競争の長所はまさに少数者に勝つ機会を与える点にあることを、堅く信じている。(p.38)

このような文章に触れて、果たしてテレビ放送業界や広告代理店業界はどうなのだろうかと考えてしまうのである。

あと余談ではあるが、「みんなの意見は案外正しい」というWEB2.0の文脈で登場するテーゼがあるが、これが成立しうるのはあくまでも「或る特定の産業部門の利害に関係」しないことが大前提となる。
ただ事業をやっていくには、いくら単に自由主義=個人主義うんぬんと言い出しても、それ自体がひとつの相対的な価値観であるともいえ、社会的環境として望ましいということは言えても、邁進していく原動力とはならない。

やはりそこで最も重要となってくるのは「大義」ということになってくるのだろう。
これもひとつの価値観ということにはなろうが、少なくとも「大義」には「信じる」という要素が入ってくるから、事業の推進力が格段に増したり、多くの人を巻き込めるパワーを秘めているからだ。

2007/01/04 木曜日

2008年以降のテレビにまつわる大変化

Filed under: PCネット・ビジネス, モバイル・ビジネス — 咲本 @ 17:31:09

本日4日の日経新聞の第一面は、ドコモの次期導入予定の高速携帯についての記事が飾っていた。

NIKKEI NET:企業 ニュース
ドコモの次期高速携帯、速度260倍で投資10分の1

NTTドコモは2010年をメドに、携帯電話を使って光回線並みの速さで通信が可能になる次期高速通信サービス「スーパー3G」を低コストで導入 する。現行の第3世代(3G)携帯サービスに比べ通信速度を260倍に引き上げるが、主要設備を改良して使い続け、投資額を第3世代の10分の1以下に抑 える。高品質のサービス提供と設備投資軽減の両立で、全国での早期普及を目指す。携帯料金の引き下げ余地も生まれそうだ。

ドコモは現行の第3世代携帯サービス「FOMA(フォーマ)」の次にあたる「スーパー3G」を10年度に始める計画。07年から実証実験を始める。通信速度は最高で毎秒約100メガ(メガは100万)ビットと、家庭用の光ファイバー通信並みになる。(07:00)

このニュースにある2010年度に始まる100メガサービスがスタートするタイミングは、もちろん2011年テレビのアナログ放送が中止となり地上デジタル放送だけとなる時期に先立って導入するというもの。

家庭用光ファイバーと同等のスピードとそれよりも安い費用でケータイ・インターネットが利用できるインフラで、テレビのコンテンツもブロードバンド放送できてしまうのだ。
まあ弊社では時代を先取りしてすでにそのような姿を目に見えるようにしていっているわけではあるが。
ただ、ブロードバンド放送にまつわる戦いは2010年を待たずしてすでに起ころうとしている。

ひとつの山場は2008年。

総務省が2008年にはテレビ番組をブロードバンド放送会社で流す許可を出すようにテレビ局に申し伝えている。

その際に問題となっていた著作権にまつわる部分も、文化庁が今まで「通信」であって「放送」ではないと解釈されていたブロードバンド配信を、著作権法で「放送」と認めるための検討が2006年から始まっている。

また、家電大手5社で結成したテレビポータルサービス(株)発表によると、デジタルテレビにブロードバンド接続機能を付加したテレビ製品というのが現在のテレビ仕様に若干の機能を付加すれば簡単に作れてしまい、それらを量産していく準備がすすんでいる。
2007年度にはストリーミングVODサービス、2008年にはダウンロード/蓄積型サービスをスタートさせる予定。
テレビ局としては受像機自体が変わってしまうと、テレビ番組以外のものを見られる時間が増えることが想定され、視聴率命の立場で商売している以上、見過ごせない動きとなっている。
それに対するテレビ局のほうは、2008年中には地上デジタル波を流す電波塔の整備が大方完成する。
さらには、空いた電波領域で通信サービスを展開していく余地もいくらでもある。

いずれにしても、テレビ番組を楽しむスタイルは単に受像機が地上デジタル波に変わっただけで、何も変化が感じられないということではなく、ケータイ・インターネット、光インターネットなどのサービスも交えて、これから大きく変貌せざるをえない局面にさしかかろうとしているのだ。

電通とテレビ放送局のビジネスのおいしさと危機感

Filed under: 読書 — 咲本 @ 02:35:18

正月3日目ともなって、年末できていなかった掃除などの野暮用も一段落、時間的余裕もできてきたので本を手にとってみた。

週刊金曜日取材班『増補版 電通の正体―マスコミ最大のタブー』 週刊金曜日取材班『増補版 電通の正体―マスコミ最大のタブー』

あともう1冊は、

吉野次郎『テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか』 吉野次郎『テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか』

どちらもサクッと短時間で読める軽めの本。
前者は電通が広告業界のみならずマスコミ、政財界、ひいては国を牛耳っているとも思える現状を垣間見させてくれる。
メディアを制することが国を制するということにもなるということか。

後者はテレビ業界のビジネスモデルに疎い私に、そのおいしいビジネスモデルの実態とそれがネットの台頭と政府の政策によって、崩れていきかねない可能性があることを知らしめてくれる。

この2冊、広告代理店的立場とテレビ放送局的立場の両方のビジネスのおいしさと危機に感じている点をふまえた上で、改めて我々の事業展開にあたっては、高い使命感を持ちつつ今以上に「政治」を知って動いていかねばならないと痛感。
ネットバブルの頃に続々登場したネットベンチャー達のように、 ビジネスモデルがあれば政治のことがわからなくても正面突破できるという能天気な事業展開だけは絶対に行いたくないものだ。

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