2006/07/30 日曜日

異業種交流会&怪談落語

Filed under: イベント — 咲本 @ 22:49:57

日中は5年ほど前の設立時からずっと参加させていただいている異業種交流会に参加。
数ヶ月ぶりでお会いして近況を語り合う。

この10数名ほどの会には有名なベテラン経営コンサルタントの方もお二人参加いただいており、某商工会のやり手かつ偉い方も任意で参加いただいているので、かなり濃いためになるお話をお伺いすることができる。
今回も某商工会の方から今年度の中小企業白書の注目すべきポイントの数々や始まったばかりの支援施策、中小企業に関連する法律関係の新たな動向についてお教えいただいた。
本当なら勉強会のあとに続く、懇親会、二次会と参加させていただきたかったのだが、その足で祇園の円山音楽堂に向かい、19:00スタートの某IWPさんオススメの怪談落語を愉しませてもらった。

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2006/07/29 土曜日

身体論からの収穫

Filed under: 読書 — 咲本 @ 20:26:03

身体論関連の本をチョロチョロ拾い読みしてみた。

有名なところでは廣松渉『世界の共同主観的存立構造』市川浩『<身>の構造』中村雄二郎『共通感覚論』
一般的に名前が売れているところで養老孟司『日本人の身体観』『身体の文学史』
そのほかに、湯浅泰雄『身体論』『「気」とは何か』『宗教経験と身体』『気・修行・身体』

養老氏については20年近く前に『唯脳論』を読み、その時に大胆でユニークな切り口だなあとは思いながらも、全てを脳、とりわけ大脳の働きだけで論じられるとの立場に、岸田秀のいわゆる唯幻論以上にえもいわれぬ違和感を感じ、それ以降はしばらく氏の著作に触れることがなくなっていた。
近年大ヒットした『バカの壁』以降になって、違和感を持ってしまうかなあと思いながら読んでみるという感じ。

ところが『日本人の身体観』を読み始めてみると、廣松、市川の両哲学者が取り上げられており、その明解に批判されるお手並みには驚かされた。
これは一つに哲学の長年引きずってきた精神と身体との議論から自由でかつ唯脳論という哲学者にはあり得ない地点から批評していくことによって可能となる。
ちなみに『身体の文学史』において三島由紀夫事件のけなし方も痛快だ。(私はもともと三島が大嫌い)
何はともあれ、養老氏の独特の鋭い批評には恐れ入った。

氏の展開される「脳化社会」という切り口も説得力がある。

ただ依然として残る私の違和感があって、それは人間らしさを司っているのは確かに大脳となるわけだが、他の脳の司る人間における動物性もあるのであり、そこをバッサリ切り捨ててしまうから議論は明解になる一方で、切り捨てられたものが少なからずあるわけであって、その点において大いに違和感が残るのであった。

ということで今回養老氏の説には今まで感じていた以上の評価すべき点を発見したことは収穫であったわけだが、それ以上に大きかったのは湯浅哲学に初めて接したことだ。

湯浅氏流に言うと、養老氏、廣松氏、市川氏、中村氏の説はいずれも神経回路モデルからいくと、「感覚神経」と「運動神経」 にまつわる発言であることになる。

だが、神経には第三の神経として「自律神経」があるのであった。
それぞれの神経の脳とのつながり方は、感覚神経と運動神経は大脳皮質、自律神経は脳と脊髄の連結部にある脳幹なのである。
大脳皮質は眼や耳といった身体の一定の器官と結びついているが、脳幹は快・不快といった感情・情動と深く関係しているので、全身的なものであって特定の器官とだけ結びついたものではない。

この指摘はものすごく重要なのであるが、感情・情動というところを含めて切り込んでいくことを四人の論者とも行わないわけなのだ。
それはやはり西洋的な心身論の範疇に入ってしまうがゆえの限界というべきか。

哲学・思想系の有名な論客がこのとおり人間のとても重要なところについて無視あるいは想定の範囲外としているくらいなわけだから、当然ビジネス系の論者もそこについては考えがおよぶにいたらない。
例えば、ハーマンモデルも人間の思考構造についてのものなので大脳の話。
情動全般についてはビジネスマンの行動の大きな要素のひとつになるだろうし、お客様の商品の購入というところでも重要なはずなのに。
さて、湯浅氏はそこで西洋的心身論を視野に入れながら、東洋的な心身論を展開していく。
具体的には僧侶や武道、芸能における修行、 あるいは瞑想やヨガ、東洋医学などだ。
こういったところも含めた思想的基盤が「近代」にどっぷり浸かりきってしまった私たちにはどうしても必要だ。
ここで最近読んだ和田登氏の『疲れない体をつくる「和」の身体作法 能に学ぶ深層筋エクササイズ』と個人的にはつながっていく。
あっ、早くロルファーの方にエクササイズの申込しよっと(^^;
安田登『疲れない体をつくる「和」の身体作法―能に学ぶ深層筋エクササイズ』 安田登『疲れない体をつくる「和」の身体作法―能に学ぶ深層筋エクササイズ』

2006/07/28 金曜日

テレビCM崩壊

Filed under: 読書 — 咲本 @ 03:22:54

survey MLの萩原さんやその他多くのブログで話題となっている『テレビCM崩壊』が夕方頃Amazonから届いた。
Joseph Jaffe『テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0』 Joseph Jaffe『テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0』

ほかの本を読むつもりだったのだけど、内容が気になっていたこともあって一気に読んでしまった。

読後の感想はというと、「そうそう、そうなんや、うまいことまとめて表現してくれてるなあ」といった感じ。
既存書籍でネットでの体験を深く理解して書き表されたビジネス書籍って意外と少ないものだ。
この書籍はそのへんのツボを的確に指摘していっている。
終了したばかりのインターネット・マーケティング講座がこれから始まるというタイミングであったなら、間違いなく参考書指定していたことであろう。

それにしても、日本語版で付けられた書名、私の中ではほぼご臨終なのかなとの感をもっていたテレビCMは、いよいよ広告関係者の手によって書かれた書物でも終わってると言われ出したんだ(^^;

3年前にはアル・ライズ『ブランドは広告でつくれない 広告vsPR』が話題を呼び、「広告とPRの価値が逆転し、広告はもはや信頼性に欠けるメディアである」との主張にも大いにうなずけたが、テレビCMがもう終わってしまった上で、「WEBを活用しながら」どうしていけばいいのかという今回の書籍のほうがとても面白い。
アル・ライズの書籍特有の法則めいた断言も、いまいち説得力に欠けたところもあった。(本書でもアル・ライズ氏についてのコメントは登場する)

また、ブログが原稿の元になっていて、翻訳もうまいので、すらすらと読んでいきやすい。(そのかわりミスタイプはやたらと多い)

あっ、今「WEBを活用しながら」と書いたけど、本書ではeメールも死にかけている。
それは当然のことで『パーミション マーケティング』日本語版が出たのが1999年だから、今から7年前。
当時はeメール送信のパーミションを得れば確かにそれでよかったものの、スパム対策に手を焼くご時世ともなれば、パーミションうんぬん以前にeメールによる情報発信自体が毛嫌いされる傾向が高まった。
パーミション マーケティングの手法は死にかけており、その思想だけが生き残った。(本書でもパーミションマーケティングについては登場)

そのうちメールソフトも利用者が減ってくるかもしれない。
一度Googleの提供しているGmailを使い出したら、ブラウザメールの使い勝手のよさにハマってしまうというもの。
そうなっていけばいくほど、ブラウザメール上に未読メールを溜めたくないとの意識もてつだってメルマガ購読数は最低限度にしておこうとなるし、ニュース系サイトはGoogleパーソナライズドで、ブログエントリーの更新情報はGoogle Readerのようなものでチェックしていく人が激増していくに決まっている。

ではWEBはどないしたらええねんというと、多様な方法がありうるが、少なくとも広告屋さんがinteractiveということを呪文のように唱えながらフルFlashで制作した、マウスをどこかに持っていくと反応があるようなサイトとは方向性が全く違うのであろうということだけ敢えて書いておきたい。
おそらく『テレビCM崩壊』の著者は、この意見には異論があるだろうが(笑)

追記
本日もAmazonから書籍が届いたが、3つの箱に分かれて2つの宅配業者からやってくるという変則的な方法だった。
Amazon自体は自動化された作業にのっとって処理していくだけなのだろうが、運送屋さんはその分たいへんだし、何よりも1つの箱で済むところを3つに分けて送られると、段ボールの後始末がちょっと大変。
良く書籍を注文する客向けに、次の宅配時に段ボールを回収してくれるサービスもやってもらえないだろうか(^^;

2006/07/27 木曜日

インターネット・マーケティング最終回講義

Filed under: PCネット・ビジネス, 講演・講義 — 咲本 @ 13:32:15

昨日はデジハリ大学院、インターネット・マーケティングの最終回であった。

私からの講義というものは何もなく、大学院生の方々に当初より課題としてお願いしていた「WEB2.0に関係する調査・研究・実践」について、それぞれ発表していただいた。

大学院生さんのテーマは

  • 教育技術の共有SNSについて
  • WEB2.0で儲かるという幻想と今後の事業企画
  • WEB2.0研究
  • 大企業としてWEB2.0はビジネスとして成り立つのか?
  • RSS研究
  • 某伝統芸能系サイト構築におけるWEB2.0的企画導入について

といったようなもので、私自身もとても勉強になる充実したものとなった。

来週からは間髪をいれず「事業計画手法」の講座がスタート。

もともと大学院生全部合わせても少人数のサテライトキャンパスである。

その中で私の担当する講座は全て選択科目となっていることでもあるので、あらかじめ受講条件をいくつも挙げさせていただき、関心度がそれほど高くない方が選択しにくいようにしている。

大学院生の職業の多様性はたいへん好ましいことなんだけど、講座をすすめていく基本方針とそれにのっとった品質は高く設定したいので、私と受講いただく方とで講座運営イメージのミスマッチングがお互いに起こらないようにしたかった。

おかげさまで全員から受講の手が挙がることもなく、とんでもなく少人数のゼミとしてやっていけそうなことになった(笑)

講座の位置づけからすると、MBAの超短期集中講座に近いイメージとなりがちなんだけど、MBA教育には根本的に批判的な立場である(ミンツバーグ師匠と同様)。

講座名は事業計画手法とはなっていて、最終的にはそのような計画書は作ってはもらうが、これについてもいわゆる事業計画書に該当しない企画書でもよく、要はビジネスプラン作成目的の架空のビジネスプランは不可であって、力点を実践できることに置く。あくまでも場合によればではあるが、自分自身の変革についての計画書であっても実践できるものであれば構わない。
知識的なことも山盛り学んではいただくが、基本は「自問」というところを講座運営のベースにおきたい。

2006/07/26 水曜日

自己組織化モデルへの違和感

Filed under: 読書 — 咲本 @ 17:05:07

このモデルがとりわけ経済学分野で活発に展開されていることにずっと違和感を感じ続けている。

しかし経済学分野では

ということで、みなさんご活発に研究なさっている。

とくにどうというしっかりした論拠を持ちあわせていないので直観的な違和感であり、ひょっとすると食べ物の好き嫌いレベルのものなのかもしれない。
あるいは典型的な文系人間の数学への拒否反応なのかもしれない。

私が詳細も把握せずして違和感を感じてしまっていたところに河本オートポイエーシス論と出会い、私の違和感を感じていた点は、氏の説明で下記のようなことであったことが明白となった。

古典的な難題として、プリゴジンやハーケンのような無機的現象の自己組織化と、アイゲン、ロートのような有機的現象以上の自己組織化とが架橋されていないという事実がある。(河本英夫『オートポイエーシス 第三世代システム』p.65)

大体、ビーカーに音波をあてると、時に液体中に結晶化が起こってくることを創発による自己組織化とした場合、その現象が起こったり起こらなかったりする確率の話とするか、そうでなければそれが起こる関数の中に何らかの変数が必要となる。
今、ある地域で産業の集積を行おうと自己組織化モデルによって施策を打つと、まるでビーカーの中の液体がみるみる結晶化していくかのような現象が起こるのだろうか?
それは河本オートポイエーシス論を引用すると次のようなことだ。

自己組織システムに一義的な予言がきかず、それが非決定論的なシステムになるのは、作動をつうじて獲得されるような変数が存在するからである。たとえばシステムの作動に伴って、新たな階層が形成される場合には、この階層を特徴づけるパラメーターが新たに獲得されるのである。 (中略)
こうして第二世代、自己言及システムは、第一世代システムとは異なり、きわめて複雑なかたちをしていることがわかる。しかも本来的に非決定論的なシステムである。第二世代の内実をつめていくためには、社会、自然、医学を問わず多様な領域での事例研究に多大な労力を払わなければならない。だがこうした労力を根こそぎ無効にするほど、第三世代、オートポイエーシス・システムにおいて再度根本的な転換が生じる。(同p.147-148)

河本氏はきわめて上品に記述されているが、要は私が思うのに「クルーグマンのような自己組織化の経済学への応用なんて、しんどいだけでその割に大したことないのとちゃいまっか?もっとも、自己組織化モデルとオートポイエーシスとの質的違いを深く考えないままのパソコンとゲーム好きの若き学徒が、シミュレーションするという名のもとにお遊戯するには退屈しませんけど」てなことになってしまう。
ちょっと口が悪すぎるけど(^^;

私が違和感をもっていたことに、河本オートポイエーシス論はたいへん説得的に解説してくれる。有り難い。

と、ここで終わるつもりだったけど、少し補足しておくと、サイモンの『システムの科学』を読んでも、私にとっては得るところが少ないのだが、同一人物が書いたとは思えない『経営行動』は全面的賛同とはいかないながら、名著として高く評価している。
若き学徒と言っている中には、例えば鈴木健氏のような研究を含んではいない。
鈴木氏のPICSY(伝播投資貨幣)論は今後の展開がどのようになるのか要チェックの研究だと思う。

追記
市川氏、湯浅氏、養老氏の身体論を読んでいくと、なぜだかシステム論における自己組織化モデルにばかり違和感が増してくるのであった。
これに河本オートポイエーシス論+身体論も読んでいくと、、、面白そうだなあ。

2006/07/25 火曜日

今週の読書

Filed under: 読書 — 咲本 @ 04:17:28

今月読む本一覧。
といっても、あと一週間も残ってないなあ(^^;

河本英夫『システム現象学』:ここ数日で河本オートポイエーシス論の基本をつかんだので、河本氏の新たに展開するオートポイエーシスの現象学的アプローチもすっと入ってくることだろう。

ミンツバーグ『MBAが会社を滅ぼす』:一気に3分の2を読んだので、読むこと自体は楽勝。問題は講義スタイルにどのように活かしていくのかを構想することと、マネジメント論の整理。

『ハーバード・ケネディスクールでは、何をどう教えているのか』:ミンツバーグ師匠の論考との比較。

市川浩、湯浅康雄、養老孟司、3氏の身体論哲学、とりわけ東洋思想的な身体論について。

F・ヴァレラ『身体化された心』:上記3氏の身体論と河本オートポイエーシスとの関係を概観できればそれでオッケー。

清水博『場の思想』:オートポイエーシスと若干の東洋的身体論の知見を得た上だとどのように読めるか。

だいたいこのあたりで時間終了といったところだろう。

仕事の合間にこういう読書をしていくのはたいへんそうに映る可能性があるが、本人にとってはウキウキ・ワクワクな予定でしかない(^^;

追記
ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の来日公演を行こうかどうしようかと迷っていたが、結局行くことに決めた。
京都商工会議所の割引チケット申込締切が8月末だからゆっくり考えていたんだけど、チケットぴあを見ると売り切れ寸前だったこともあり、なんとなくそのまま勢いで申し込んでしまったのだった。
「残りわずか」と煽られると弱い性格(^^;

2006/07/24 月曜日

MBAが会社を滅ぼす

Filed under: 講演・講義, 読書 — 咲本 @ 04:04:38

H・ミンツバーグ『MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方』 H・ミンツバーグ『MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方』

師匠ミンツバーグの新刊予告を見つけ予約しておいた本がついに届いた。
まあ師匠というのは私が一方的にそう思っているだけのことだが(^^;

それにしても相変わらずここまでボロカスに言ってしまって大丈夫なの?と思ってしまう過激発言が連発されている。

本は前半が「MBAなんていらない」と題されていて、MBAがいかにダメなのかということを徹底的に批判している。
後半は「マネジャーを育てる」として、どのような教育プログラムが有益なのかについて、著者のマネジメントについての考え方を織り交ぜて書かれている。

ボロカスモードの一例を引用してみると、

しかしマネジメントは、弁護士業とはかなり違う。というより、違うべきだ。有能なマネジャーは、説明し、説得し、決断を下すだけではない。オフィスを飛び出して物事の渦中に首を突っ込み、ほかの人間を動かすことによって結果を生み出す。自分で直接、物事を見て感じ、経験し、試す。ハーバードの学生たちがしゃべり続けるとすれば、優秀なマネジャーは聞き続け、見続ける(ユーインのピラミッドのたとえを借りるなら、ピラミッドの頂上にいては、はるか下の地上でなにが起きているのかろくすっぽわからない。頂上に立てば「全体像」が見えるというけれど、頂上にいてもピラミッドの形はよくわからない。ましてや、ピラミッドの内側のことなどわかりっこない)。
論理的な結論を導き、他人を説得することは、確かにマネジメントの重要な側面だ。そうしたスキルを養う上では、ケースメソッドが間違いなく役に立つ。しかし、この点が強調されすぎると、マネジメントのプロセス全体が歪められかねない。マネジャーは、物事を感じ取り、複雑な現象を解きほぐし、情報を掘り起こし、地中深く探求しなくてはならない。謎めいたピラミッドのてっぺんになど鎮座ましましていては、マネジャーの仕事は務まらない。「大局的な絵」はそのへんに転がってなどいない。二○枚やそこらの資料の中には絶対にない。その絵は、時間をかけて、慎重に、長年にわたる直接の経験を通じて、自分で描かなくてはならない。教室で事例について議論すれば、「日々の経験が頭に染み込むまで何年も」待つ必要はないなどというのは、とんだたわごとだ。他人の経験について議論することは一つの経験のように思えるかもしれないが、それは経験でもなんでもない。マネジメントの実務は、教室では再現できない。実験室で化学反応を再現するのとはわけが違う。(p.74-75)

私に言わせれば、ビジネスの世界で成功を収めているMBA取得者は、ビジネススクールで植えつけられた歪んだマネジメント観を克服したからこそ成功できたのだ。失敗するのは、学校で学んだマネジメント観をいちばん真に受けた人たちだ。企業幹部の座に自分を押し上げてくれた資質に、今度は足を引っ張られるのである。この人たちは頭がよすぎるし、せっかちすぎるし、自信満々すぎる。独善的すぎるし、現実からあまりに遊離しすぎている。白馬に乗って颯爽とやってくるヒーロー型マネジャーの多くは、ブラックホールよろしく、企業の業績をのみ込んでしまうのだ。(p.157)

大量の引用文献を使いながら、恐るべきパワーで語っていかれる。
各種ビジネス系セミナー屋さんを含む教える側の人たちと学んでいる側のMBAの人たち、ほぼ全てが痛いところを突かれたと感じるはず。

ここまでの前半は一般向けの内容であって、後半はちょうど8月から大学院で「事業計画手法」講座を担当することになっている私向けに、マネジメント教育の全く新しいアプローチが説かれている。

私のためにありがとうございます、ミンツバーグ師匠! 翻訳の池村千秋さん!日経BP社さん!

大学院自体が持つ制約は致命的にたくさんあるわけだが、本書を大いに参考にして、おかれた環境でのベストを目指して組み立てていくことにしよう。

2006/07/23 日曜日

オートポイエーシスによるアプローチ

Filed under: 読書 — 咲本 @ 01:41:39

どうもビジネス系に応用されている大元となっているシステム論に疑問を抱いてしまう。

私がまだ10代だった頃はベルタランフィの『一般システム理論』が話題をよんでいたように記憶していて、さすがにちょっと敷居が高いと恐れをなし、もう少しわかりやすそうなものをとワインバーグの『一般システム思考入門』を読んでいたが、これでも難しいなあと思っていた。
ちょうど構造主義にも興味を持っていた時期だった。

この時期の動的平衡系の理論が今では第一世代システムと呼ばれているもの。
そうそう、思い出すと当時批判すべき対象は静的システムで、キーワードは動的ということだった。

私自身は消化不良のままでいる矢先に、現在では第二世代と言われている自己組織化システムが注目されてきた。
国内ではあの清水博『生命を捉えなおす』初版が1978年、増補版が1990年というタイミングだ。
世界的にはプリゴジンの散逸構造理論が注目をされていて、それに多くを負っている複雑系科学も発言が目立ってくる頃であり、一般向きにも「ゆらぎ」を取り入れた家電製品が発売されていた。

それから随分の月日が経過していて、システム論の第三世代であるオートポイエーシス・システムについては、河本英夫氏によって理論が画期的に整備されてきたにもかかわらず、ビジネス系の論考では不思議と見かけない。
強いていえば、ルーマン社会学で取り上げられている程度。
未だに目につくのは、「場のマネジメント」とか「自己組織化の経済学」などといった第二世代システムをベースにした話ばかりなのである。

これはなぜなんだろうか?

ということで、遅ればせながらオートポイエーシス・システムについて学習し始めることにした。

以前、オートポイエーシスの提唱者たるマトゥラーナの説が気になって『知恵の樹』を読んでみたが、「そんなバカな!」と強い違和感をいだいたことがあった。
大体、入力も出力もない閉鎖系システムって今更どういうことよ?という疑問が起こるほうが自然だと思う。
しかし、河本英夫氏によるシステム論の整理と補強作業を介して、やっと「なるほど!」と理解しかけているところ。
単になるほどというだけかもしれないし、ものすごくなるほどと思えるパワーを持った理論ではなかろうかと読み始めた私は感じている。

河本英夫『オートポイエーシス―第三世代システム』

河本英夫『メタモルフォーゼ―オートポイエーシスの核心』 河本英夫『メタモルフォーゼ―オートポイエーシスの核心』

河本英夫『システム現象学―オートポイエーシスの第四領域』 河本英夫『システム現象学―オートポイエーシスの第四領域』

2006/07/22 土曜日

私はSOHOでもFAでもICでもない(笑)

Filed under: 雑記 — 咲本 @ 08:55:13

私のような仕事スタイルをとることを「インディペンデント・コントラクター」(略してIC)っていうらしい。

そんな自覚はなかったし、私自身呼び名による分類なんてどうでもいいんだけど、なんだかわかりにくい労働者達には名前を付けて定義してしまいたいと考える人達が世の中にはいるものだ。

すでに協会まで出来ていて、そちらの定義によると次のようになる。

||| IC ||| 当協会について
期限付きで専門性の高い仕事を請け負い、雇用契約ではなく業務単位の請負契約を複数の企業と結んで活動する 独立・自立した個人のことをインディペンデント・コントラクター(IC=独立業務請負人)と呼んでいます。雇う企業から みると「必要な時な時に必要なだけ」専門性の高い領域をコミット し業務を遂行するICを活用する事により、確実にプ ロジェクトを成功に導き、且つコスト面でもメリットが高いと思われます。
米国ではすでに900万人近いICが活躍しており、今後日本でも企業の本業回帰の流れと、外部にある知恵を有効に 活用していきたいという意向から、ICという働き方が拡大すると言われています。
サラリーマンでも、事業家でもなくフリーエージェントである働き方。「雇われない、雇わない」これが、ICの生き方と定義されます。

そもそもインターネットの浸透する中で新しい就労スタイルを指してSOHOなる言葉が一定レベルで普及した。
SOHOについても日本SOHO協会が以前より存在していて、次のように定義されている。

e-WORK|新しい就労スタイル|
かつてのSOHOはコンピュータの進展とともに「スモールオフィス」や「ホームオフィス」にて仲間と好きな事業を営んだり、自己の才能やスキルを活かして個人で専門的な仕事を企業に提供していくことが一般的でした。

それにより家庭やスモールオフィスにてデータ処理やWebデザイン、プログラムなど企業からの請負で収入を得るワークスタイルが大半です。しかし、 個人単体ではそのキャパシティーの限界やビジネスマネジメントに大きな負荷がかかり、共同オフィスといった総務・経理サービスやエージェンシーという営業 機能が求められてきました。
しかし、急速に進むネット社会ではSNSやブログを活用することで、いつでもどこでもどんな時も仲間を探したり、情報を検索・発信できるようになり、SOHOにおいては「場所や時間」だけの概念ではない新たな可能性がでてまいりました。

そこで、当協会は「e−WORK」というこれまでにない新しい就労スタイルとWebを中心としたネットエコノミーの融合に着目し、縦型の受発注システムから水平型のコラボレーションシェアシステムのコンセプト開発に取り組んでまいります。

えっ?またいつの間にか、わけのわからないe-WORKなんて言葉を作っている!?

まあSOHOの場合には、私が今年5月で脱退した関西SOHOデジタルコンテンツ事業協同組合にしても、名称からSOHOを削除したばかりだし、ほぼ死語と化しつつある言葉が協会名に冠されているだけでは、ちょっと弱いと考えて、e-WORKなんて言葉を無理矢理作ったのかもしれない。

何せSOHOという言葉のウラには、お役人達の新しい就労形態を把握したい意向と、団体を束ねることによってお役所から発生する仕事をゲットしやすくなるという利権とが入り混じっていたのだった。
私が「ちょっと弱い」と書いたのは、死語化しつつある単語を冠しているだけでは、利権が遠のくという意味も含んでいる。
(あっ、誰か私を刺したりしないでね)

話をICに戻すと、この言葉はインディペンデント・コントラクター協会の理事長をやっている秋山氏が名付けたことになっていて、下記書籍によると個人的には1998年から言い出したらしい。

そこを強調しておかないと、SOHOであったり、ダニエル・ピンクが2001年に出してベストセラーとなった『フリーエージェント社会の到来』のフリーエージェント(FA)という言葉があるのに、わざわざ名乗る意味がなくなるからだ(^^;

秋山進,山田久『インディペンデント・コントラクター 社員でも起業でもない「第3の働き方」』 秋山進,山田久『インディペンデント・コントラクター 社員でも起業でもない「第3の働き方」』

それにしても協会設立や書籍発行時期からすると、世間的には明らかに新しい言葉ということになってしまうのに、覚えにくい名称または略すとICなんて、ちょっとセンスがなさすぎなのでは?
まるでITにCommunicationを追加して呼ばれるようになっている「ICT」にも似ていて、順序を変えるとITコーディネータの略であるITCみたいでもあり、しかもIC自体は一般的にはICチップとして既に普及している略称だったりしている。
どうしても普及させたかったら、ネーミングを戦略的に考えるべきだったはず。
秋山氏からすると「フリーとICは根本的に違う」と言葉の定義についてこだわられるのだけど、このまま認知度が低いのであれば、いくら「私はICです」と言ってみても、虚しくなってくるだけなのかもしれない。

なぜそんなに名前にこだわるのか、その真意はおいといて、ずっと大企業の看板のもとでサラリーマンをしていた人が、独立した途端に個人名で仕事をするようになった時、理解してもらいやすく尊敬されそうな呼ばれ方がほしくなるという側面はあるのだろう。

でも私のように根っからのICみたいな人間には、そんな呼ばれ方なんてどうでもよいのだった。
まあ私の場合にはICというより単なるプータロー、あるいはフーテンのコンサル屋だからかもしれないが(^^;

2006/07/21 金曜日

「和」の身体論

Filed under: 読書 — 咲本 @ 05:06:59

これは!ロルフィングという興味深いエクササイズ法を見つけてしまった。

早速、先生を見つけてやってみようと思う。

書籍にも簡単なエクササイズが紹介されてはいるが、それよりも「和」の身体論として俊逸。
安田登『疲れない体をつくる「和」の身体作法―能に学ぶ深層筋エクササイズ』 安田登『疲れない体をつくる「和」の身体作法―能に学ぶ深層筋エクササイズ』

こういう実践的でもある身体論の良書から刺激を受けたことで、身体論あるいは心身論について少しばかり考えを整理したくなってきた。

王道はたとえばメルロ・ポンティの現象学的な身体論ということになるのだろうが、そうじゃなくて市川浩の身体論の哲学を「身」という日本的概念を突破口としようとしたところからスタートして、ディープな湯浅哲学をのめり込むように読んでいきたい気分。
市川 浩『「身」の構造―身体論を超えて』 市川 浩『「身」の構造―身体論を超えて』

湯浅 泰雄『身体論―東洋的心身論と現代』 湯浅 泰雄『身体論―東洋的心身論と現代』

湯浅 泰雄『宗教経験と身体』 湯浅 泰雄『宗教経験と身体』

湯浅 泰雄『気・修行・身体』

ついでにアンドルー・ワイル博士系?のホリスティックな健康アプローチなんかもかじりながら。

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