ヴァーチャルとは何か?ーデジタル時代におけるリアリティ
しばらく放置したままになっていたのだが、読み出すとなかなかよい。
ピエール・レヴィ『ヴァーチャルとは何か?―デジタル時代におけるリアリティ』
著者はフランス現代哲学のミシェル・セールの弟子。
200ページ程度なのでサクッと読める範囲内で、コンパクトにまとまっている。
あえて本の内容がわかるように題名を付けかえたとすれば、「ドゥルーズ=ガタリ的ヴァーチャル哲学入門」とでもなろうか。
すなわち、本書をまとめ上げるのに多くを負っているのは、
- ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
- フェリックス・ガタリ『分裂分析的地図作成法』
- ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』
- ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』
である。
これらの分厚く難解なフランス現代思想書を読み返さなくても(少しかじったことがないと意味不明に陥ることは間違いないだろうが)、たいへん明快にまとめられていて重宝する。
この書では「ヴァーチャルなもの(virtuel)」を中心に「リアルなもの(réel))」「アクチュアルなもの(actuel)」「可能的なもの(possible)」とはどういうものなにかについて言及されている。
ところで、あらためてヴァーチャルって何と問われると、ヴァーチャルリアリティのヴァーチャル、つまりは仮想現実という訳語の「仮想」のことであると多くの人達が誤解しているのかもしれない。
実際にはWikipediaでも指摘されているとおり、
バーチャルリアリティ - Wikipedia
国立国語研究所「外来語」委員会の言い換え提案でも、英語 virtual は「表面上は違うが実質そのものである様子で、実質上と訳される」のに対し、外来語「バーチャル」は、「現実そっくりだが仮想の世界である様子」として用 いられ、英語と意味が大きくずれていることが認められている。
との説明にも異論はあるにはあるが、少なくとも「仮想」という意味あいではないことは確かなのであって、インターネットに絡む仕事をしている人間(笑)なら、しっかりと意味を捉え直すことくらいはやっておくべきなのである。
ピエール・レヴィも言っている。
ヴァーチャル性はテレビで言われるようなこととは全然何の関係もない。それは偽の世界ないし想像の世界とは全く関係がないのである。反対に、ヴァーチャル化は公共の世界のダイナミズムそのものであり、それは、それによってリアリティを共有するところのものなのである。偽の王国の範囲を規定することからは程遠く、ヴァーチャルなものは、まさに、そこから嘘と同様に真実もまた生じてくるような存在の様態である。(p.194)


京都は昨日と比べて気温10度アップ。














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