2006/05/21 日曜日

よい組織=社員の実名によるブログがある?

Filed under: 経営戦略 — 咲本 @ 09:26:37

普段は交響曲を聴くのが大好きな私なのであるが、本日のBGMは久しぶりに東京事変『教育』が流れていたりするそんな気分(^^;

教育 東京事変『教育』


まあでもこのアルバムをここで評論するとかそんなつもりはなく、特に推薦するわけでもないし、強いて何か情報をお伝えするならば、祇園のクラブの姉妹店でカラオケが置いてあるようなところでつい歌を歌うことを勧められて「林檎の歌」と「群青日和」を歌ったら、エグゼクティブでシニアなオヤジばかりが客である店のオネエちゃんにはわりとウケた経験があるというくらいのもの(^^;

っとそんなことはどうでもよく、ところで、

スラッシュドット ジャパン | 日本語がブログでの使用言語で世界一のシェア
AC曰く、”Sifry’s Alertsの5月1日付けの記事 State of the Blogosphere, April 2006 Part2: On Language and Taggingによると、ブログで使用される言語で日本語が世界一のシェアであるとのこと。

この記事のとおり日本ではブログ投稿数こそ世界的にみても異常に多いものの、オネエちゃんウケ云々なんてことを個人を特定できる「実名」ブログで堂々と書けないサラリーマンってどないやねん!ということを最近感じてしまうのである。

  • オネエちゃん云々は「業務以外」のことだから、社名・所属部署がわかるところでは書けないって?
  • オネエちゃんのことと崇高な企業理念を掲げた企業名とをブログ上で混在させると会社の看板を背負った人間として不謹慎だと思われるって?
  • マジメなイメージを会社に持ってもらいたいのに、そんなことを書いたら自分自身の人事評価に差し支えがあるって?

もちろんここで「オネエちゃん」と言っているのはものの喩えとして。
あまりにも生真面目に文字そのものの意味だと勘違いしないように。

何が言いたいかというと、組織論やマネジメントについて考えていくと、匿名でしかブログを書けないサラリーマンだらけというのはかなりマズいのではないかと思えてきたのだ。

中にはジム・コリンズなんかの本のうろ覚えで、「企業人として企業の‘基本的価値観’を重視すべきだと思うので、それと比べたら取るに足らない自分のプライベートなことは社名・所属を明らかにして語るべきではない」なんて言いかねない人がいるかもしれない。

長くなるのでここではいちいち書かないが、こんな意見はジム・コリンズの本の初歩的ミスリーディングであって話にならない。

中には組織側からあからさまな締め付けがあるケースも存在するのだろうが、省庁のお役人でさえ名前を出してブログを書いているご時世に何を言ってるの?ってな感じ。
http://blog.livedoor.jp/bntdt916/

よほどの人気作家が「書く」ということについての深い思慮の末、ブログについては書かないと結論付けるのならまだしも、いい歳をした大人がいつまでも2ちゃんねるに群がる子供のごとく匿名のままでしか投稿できないというのでは、今まで一体どんな仕事・生き方をしてきたの?と首を傾げたくなる。

会社の看板を取っ払ったら「空虚」しかないの?組織内での役職があれば内部的には酒場で部下には語れるが外部で語れないのは単なる「内弁慶」な人なの?なんてね。

過去に何度も「仕事は個人的なものだ」ということを主張してきているが、個人的なことを実名ブログで語れないというのは、極論すれば個人的なものである仕事のことを書けない人なんて、できるビジネスマンとはなりえないのでは?とさえ考えてしまう。

まあ書けない人もそれなりにご苦労されているところもあるのだろうし、そのことをあまり攻め立てても仕方がないのだろうし、そのこと自体が私の一番言いたいことでもないので。

いずれにしてもそのうちに時間を見つけて「よい組織の社員は実名によるブログを書いている」といったようなことでコラムでも書いてみようと思う。

2006/05/20 土曜日

某○○○gleさんを迎えて第5回目の講義

Filed under: 講演・講義 — 咲本 @ 04:13:03

デジハリ大学院のインターネットマーケティングの中で「初めて」インターネットらしい話がなされたかもしれない。

それもそのはず、今回は私が講義をしたのではなく現○○○gleで元大手広告代理店インタラクティブ・プロデューサーだった方にしゃべってもらったからだった。

いつもとは違って一部受講者とは違う方も聴講してのものとなった。

大いに参考になる話の連続であったとの十分な感触があったものでよかった。
とりわけ広告についての考え方についての大きな変化とマーケティング企画の立て方、○○○gle社がどんな会社でどのような考え方をするのか、といったところは興味をそそったのではないかと思う。

って、ゲストが誰のことなのかあまりにもバレバレなのでリンクしておく(^^;
http://www.mediologic.com/weblog/

それにしても拍手喝采なイケてる講義となった。

私も院生ばかりに講義してもらってばかりでなく、タマには自ら講義をしないと(^^;
本日のようにインターネット系に触れる話になった途端、今まで教科書を使ってなぜ「非インターネット」マーケティングについてやってきたのか、なぜ講義ではコトラーではなくてケロッグスクールのマーケティング論について取り上げてきたのか、院生さんの中でわかってきたようなことも耳にした。

そう、ゲスト講義の方とは内容については何も打合せをしていなかったにもかかわらず、話がなんとなくつながってくる。

そして次回グループによる課題発表をしてもらう内容も今回していただいた話とおのずとつながってくるはず。

次々回には教科書指定の本のうち、あと1冊分を一度の講義で済ませる予定だが、こちらはケロッグスクールのマーケティング論を学んでいく中である時には批判的であったり疑問視しながらやってきたことの「まとめ」となるはず。
一見、本の雰囲気は似つきもしないが、似ているというかいかにつながってくるのかがわかってくることだろう。
私がどのような方向に導こうとしているのか、いまいち院生さんには見えてきにくいところもあって不安に思う人もきっといるにちがいない。

でもこのようなちょっと宙づりにされたような状態から、少しずつ話に出てきたことがつながってくるという「発見」をしていっていただき、最後のほうにはあらゆることが有機的につながり、理論についての批判的眼差しと柔軟なマーケティングの発想をも身に付いていけば、これはこれで「講義で語られたこと以上のことを学んだ」ということになるのではないかというのが私の考え。

つまりはロジカルに語られたことを学ぶというのではあまり意味がなく、今まで不明だったロジカルとロジカルの「間」の関係性が、あるとき「あっ、そうか!」と浮かび上がってくることがあるのだと信じて講義をすすめていきたい。

2006/05/19 金曜日

24年ぶり!オッコ・カム指揮のシベリウス交響曲ライブ

Filed under: (主にクラシック)音楽 — 咲本 @ 04:37:12

HMVのネット通販で購入したオッコ・カム指揮によるシベリウスの交響曲を聴く。

これらは1982年にオッコ・カムとヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団がシベリウス・チクルスをお披露目するために初来日した公演のライブ録音をCDで発売されたもの。

来日当時まだ高校生だった私はなぜだか大阪フェスティバルホールで行われた公演を聴きにいっていて、当時FM放送で流れた一連のライブ演奏もカセットテープに録音して、何度も聴き返した記憶がある。

私が公演で聴いたのは交響曲第2番であったが、テープに録音したほかの交響曲も当時はいやというほど聴いていたので、どれもこれもが懐かしい。

しかしまあ今頃になって発売されるとは、もともと手に入るアルバムもほとんど存在しないオッコ・カムであるが当時はかなり騒がれたことの記憶がまだ残っているリスナーもたくさんいるということなのだろう。

有名な第2番よりも、第6番のほうががシベリウスの曲としてもカムの指揮としてもオススメ。

当時に記憶を思い出すと、

  • カムがドイツ風の比較的淡々とした指揮を行っていたこと
  • ロマンチシズムに溺れるところはなく、しかし個性的な解釈を行っていたこと
  • 弦が霧にかかったようでいて透明感のあるサウンドだったこと
  • ホーンセクションのレベルが高かったこと

などが思い出される。

24年ぶりに聴いてみると、またまた当時の感動が蘇ってきた!
シベリウス交響曲第2番オッコ・カム、シベリウス交響曲第2番,フィンランディア

シベリウス交響曲第5番オッコ・カム、シベリウス交響曲第5番、悲しきワルツ



シベリウス交響曲第3,6番オッコ・カム、シベリウス交響曲第3,6番


HMVジャパン

2006/05/18 木曜日

睡眠不足を取り戻す

Filed under: 雑記 — 咲本 @ 11:44:41

昨日は「インターネット・マーケティング」の第4回目講義。
指定した教科書をいちおう終了。
講義のあと、院生さん達の一部はお願いしているグループ発表の課題を議論するために研究室へ行かれた模様。
なんやかんやで午後9時半を過ぎていたのに、これからまだ話し合いをされるとは頭が下がる。

午後11時半に帰宅後、仕事が立て込んでいて徹夜したせいもあり、さすがにたまらずフトンに直行。
そういえば一昨日も徹夜。
寝たのは2日間とも移動中の電車の中と喫茶店に入って座ったまま目をつぶっていたくらい。

もうエエ年したオッサンなんだから無理もきかなくなりつつあるので、こんなことしなくていいようにせなあかん。

まあでもいくらゆすられても気づかないくらいにぐっすり寝たので今朝はとてもすっきり(^^;

2006/05/17 水曜日

6/8坂口さんのJANBO Awards2005ご受賞を心からお祝いをする会

Filed under: お知らせ — 咲本 @ 06:11:43

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京都・ビジネスモデル推進センター
坂口さんのJANBO Awards2005ご受賞を
心からお祝いをする会ご案内(6月8日(木)19:00−)

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2006年5月16日
世話人: 咲本 勝巳・塩谷 愛

みなさまご承知のとおり、
京都商工会議所 京都・ビジネスモデル推進センター長
(現職、中小企業経営相談センター所長)の坂口俊一さんが

全国約2000団体の産業支援関連機関で構成する
日本新事業支援機関協議会(通称 JANBO)
「JANBO Awards2005」の最優秀支援者賞を
日本で初めて、ただ1人、受賞され、6月6日に東京で表彰を受けられます。
http://www.janbo.gr.jp/event/200606_janbo12.html

「京都21世紀産業ビジョン」提言に基づき、立石座長(オムロン(株)会長)の強力な意志と肝入りで2000年、 オムロン(株)から京都商工会議所に出向、何もないところから京都・ビジネスモデル推進センターをこれまでに築き上げられ、認定企業をはじめとする支援先はニ千社 にものぼります。

われわれ支援を受けてきた者にとって、この受賞はこれまでのご功績、恩恵を考えると大変喜ばしいことです。心からお祝い申し上げます。

そこで、これまで坂口さんに支援していただき、お世話になった方たちと「ご受賞を心からお祝いする会」を開きたいと思い、失礼ながらメールさせていただきました。

このメールは全ての支援先様を網羅しているとは限りませんし、また、これから支援を受けられる方にも配信されていると思いますが、 ご容赦頂きまして、みなさまお誘いあわせの上、ぜひぜひ多数ご参加ください。

さらに!! 当日は、坂口さんとともにわれわれを熱心に支援してくださった方、 現在はオムロン(株)に戻られた植西雄司さんも東京から駆けつけてくださいます!!

皆さまとご一緒に坂口さん、植西さんのお2人に感謝する盛大なお祝いの会にしたいと思います。ご参加を心からお待ち申し上げます。

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日 時:平成18年6月8日(木)19:00−21:00

会 場:「ランスエクレメ」

中京区河原町三条二筋下ル東入ル 電話:075−213−4151

http://www.hotpepper.jp/s/H000018041/top.html

参加費:お1人様5000円(当日、受付にて頂戴いたします)

申込先:世話人 株式会社テコ 塩谷 までメールでお申込ください。

a-shiotani@teco-asia.com

* 準備の都合上、5月31日までにお申し込みくださいますようお願いします。

* 本件お問い合わせは 塩谷 までお願いします。

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ファジル・サイのピアノ名曲集CD3枚を愉しむ

Filed under: (主にクラシック)音楽 — 咲本 @ 02:16:22

朝一番に某財団さんに企画書を送り、その後すぐ某ベンチャーさんのオフィスで会議。
この会社の社長とはお付き合いは長いのに、今回初めてお伺いしたのが今更ながら不思議なくらい。
その後あっちやこっちとアポを済ませて夜遅くに戻ってくる。

いっぷくも兼ねてHMVのネット通販から届いていたピアノの鬼才、ファジル・サイのベートーヴェンのピアノソナタ集とモーツアルトのピアノコンチェルト集、そしてガーシュイン名曲集を聴く。
って、いっぷくの範囲をはるかに超えてるやん(^^;

ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ ファジル・サイ、ベートーヴェン-ピアノソナタ第17,21,23番


ベートーヴェンの「熱情」「ワルトシュテイン」「テンペスト」として知られる名曲を収録したもので、本来であればわざわざ聴きたいとも思わないところであるが、「ファジル・サイのベートーヴェンって普通の手垢にまみれたベートーヴェンのイメージとは随分違うのではないだろうか」という漠然とした期待があった。

期待は見事に的中し、ものすごいスピード感のある異色のベートーヴェンに感動した。

ガリ勉のお利口さんタイプのピアニストとは一線を画したまだ余裕を感じさせながらの超高速表現と変なロマンチシズムに陥らずして美しいメロディはさすがのもの。

テレビでドキュメンタリー番組が放送されたことで、ピアニストのフジ子・ヘミングが大人気なようであるが、彼女のピアノにはパワーとテクニックは感じられるものの、サイのようなスピード感や軽やかさ、繊細さが感じられず、私はあまり好まない。

それよりも、グレングールドの再来ともいえなくはない、サイがもっと評価されてもよいのではなかろうか。
モーツアルト、ピアノ・コンチェルトファジル・サイ、モーツアルト-ピアノ協奏曲第12,21,23番


モーツアルトの有名なピアノ協奏曲集もサイの演奏でなければ、絶対に聴こうなんて思わない(^^;

ほら、例えば第21番の第2楽章といえば、「短くも美しく燃え」という名でも知られていて、誰でも何度もBGMなどで聴いたことがあるはず。

モーツアルトについては、先日コンサートに行った時の日記に書いたとおり、

確かに不快な音がなく曲の構成もシンプルなモーツアルトの曲を聴かせると植物がよく育ったといったことも聞いたことがあるが、マニアックなファンな らまだしも、私のような凡人には有閑マダムのアフタヌーンティのBGMに最適な曲という意味での心地よさ「しか」提供してくれない。

少なくとも芸術というのであれば、魂がゆさぶられるような衝撃があるものを私は好むし、大体がモーツアルトのほとんどの曲は独奏や小規模室内楽での演奏向きのシンプルな曲であるので、それをフルオーケストラで演奏されても物足りなさを感じざるをえないのであった。

というふうに私はとらえているので、ピアノ曲ならまだオーケストラよりもマシではあるものの、BGM程度にしか思えないところ。

これをサイが手掛けると、BGMの範疇を超えてしまい、思わず聴き入らせてしまうほどに美しく軽やかというか、よくあるお利口さんの演奏とは随分表現の仕方とスピード感が違うので、モーツアルトファンはどう感じるのだろうか?

もしこの演奏を評価してしまったら、ほかの大多数の演奏は取るに足らないものとなってしまいそうなんだけど。。。

ガーシュイン ファジル・サイ、ラプソディ・イン・ブルー~サイ・プレイズ・ガーシュウィン


サイ自身が大好きだというガーシュウィンの曲を集めたアルバム。

クラシックのピアニストにつきまといがちの重さは全く感じさせず、ガーシュウィンらしさを楽しめる。

また、セッションしているクラリネットとアルトサックスもまさかクラシック奏者だとは思えないほどのジャズ演奏のテクニックとセンスを感じさせてくれる。

たまにジャズピアニストとオーケストラとの競演を見かけたことがあったが、ジャズの人達はさすがに細かい音符をスラーで演奏するところはきれいなんだけど、細かい音の粒を際だたせるような演奏は苦手なようで、このあたりがサイの演奏だとビート感がありながらしっかり感じ取れて気持ちがよい。
HMVジャパン

2006/05/16 火曜日

戦略思考とは?

Filed under: 経営戦略 — 咲本 @ 00:20:59

「戦略」という言葉について深く納得。

これ、使わせていただきます! 田坂さん。

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田坂広志 「風の便り」 第186便
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「戦略」という言葉

長年、「戦略参謀」という仕事に携わり、
著書で「戦略」について語ってきました。

そのため、しばしば、
経営者の方々から、
企業の「戦略」について、相談を受けます。

そのとき、
いつも心に浮かぶのは、
一つの言葉。

「戦略」と書いて、

「戦」(たたかい)を

「略」(はぶく)と、読む。

その言葉が浮かぶのです。

「戦略思考」とは、
「いかに戦うか」の思考ではなく、
「いかに戦わないか」の思考。

では、なぜ、経営者は、
無用の戦いをせず、目的を達するために、
戦略思考を尽くさなければならないのか。

それは、決して、
「経営資源」を無駄に使わぬためではない。

部下や社員の人生の
かけがえのない時間。

それを大切にするため
経営者は、戦略思考を尽くさなければならない。

いかなる華々しい戦略も、
その陰で、一人の人間が、
かけがえのない人生の時間を、捧げている。

その覚悟を抱いたとき、
本当の「戦略思考」が始まるのでしょう。

2006年5月9日
田坂広志

ちなみに「風の便り」のバックナンバーは下記サイトにあります。   http://www.hiroshitasaka.jp/tayori/index.php#backnumber

2006/05/15 月曜日

楠田枝里子『ピナ・バウシュ中毒』

Filed under: 読書 — 咲本 @ 01:03:40

楠田枝里子さんの『ピナ・バウシュ中毒』が届いた。

ピナ・バウシュ中毒

『ピナ・バウシュ中毒』


実は楠田枝里子さん公式サイトから書籍の注文をしたので、サイン本が送られてきて、中味は内緒だけれどちょっとしたオマケ付きだった。

なぜ著者に直接注文したかというと、サイト内に「ピナ・バウシュ中毒」コンテンツがあり、こちらで多数の写真を使いながらピナ・バウシュにまつわる様々な思い出やこの著書ができあがる経緯がたっぷりと書き綴られていて、本書をまだ読んでいないのにすっかり感激してしまったから、その流れから思わずそのまま注文してしまったのであった。
http://www.erikokusuta.com/pina.html

もちろん先日、「ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団」による来日公演を初めて観に行って、激しく感動したことがあるにはあったのだが。

ピナ・バウシュほど20世紀後半から現在に至るまでの舞踊シーンに前衛的でありつつ観客の魂を激しく動揺させる舞台を提供し続ける存在は他には見当たらないだろうと思われるのに、彼女について深く書かれたものや舞台映像が公開されたものは驚くほど少ない。

そんな中、楠田さんがピナ・バウシュをそれこそ中毒になったかのように「追っかけ」を続けられていて、公私知り尽くした深い関係性を持ったいらっしゃる立場から本にされているとなれば、これは読むに限る。

楠田さんの本はまだ20代の頃、『ロマンチック・サイエンス』(角川文庫,品切れ)や『不思議の国のエリコ』(文春文庫,かろうじて楠田さんサイトで入手可)を読んで、単なるタレントだけにとどまる方ではなく、科学に明るくその観察眼・発想力や文章力がすばらしいと承知していたので、その彼女がピナ・バウシュについて書くとなると、それだけで期待してしまう。

本の帯には2人の知人からの讃辞が掲載されている。

北野 武
ピナ・バウシュの舞台には
感動したが、
それ以上に、
わかりやすく解説してくれた
楠田さんのアートに対する
分析力は、すごいもんです。

浅田 彰
これは批評ではない。
ピナ・バウシュだけが
書かせることのできる、
そして楠田枝里子だけが
書くことのできる、
限りない愛の手紙だ。

久しぶりに読む前からワクワクしてくる書籍である。

2006/05/13 土曜日

コラム「ホテルモントレのブルー・オーシャン戦略」を公開

Filed under: お知らせ — 咲本 @ 09:32:19

コラム「ホテルモントレのブルー・オーシャン戦略」を公開しました。

ホテルモントレのブルー・オーシャン戦略1/2

ホテルモントレのブルー・オーシャン戦略2/2

2006/05/12 金曜日

「快」と「感動」の違いー京都コンサートホールにて

Filed under: (主にクラシック)音楽 — 咲本 @ 02:12:57

お昼まで睡眠をとって回復した私は、夜は今年に入って初めてのクラシックコンサートに出掛けた。

そもそも京都に住みながら京都コンサートホールに行くのが初めて。
京都のクラシック好きとしてありえない?

京都コンサートホール外観

平安建都1200年を記念して建てられたこのホールが完成するまでは、京都でコンサートを行うには音響がその時の気候にも大きく左右され当たりはずれの大きい京都会館しかなかったのだが、このホールができてやっと本格的にオーケストラ演奏の聴ける環境が整ったといえる。

京都コンサートホール通路

入口を入ってしばらく進むと円形の広場のようなスペースがあり、その周囲を2階までぐるりと回るように通路が延びている。
通路には過去に京響と共演した有名音楽家のパネルが等間隔で展示されている。

それにしても広場スペースに人は入れないので、2階に上るだけなのにものすごい遠回りをすることになってしまう。
おまけに私の席は1Fの前から2列目なので、やっと2階にたどり着いたと思ったあとに2階から1階へと階段を下りなければならなかったのであった(^^;

京都コンサートホール内部

さて、座席に着くと延々と無駄に歩かされたことも忘れるほど立派なホールなのに驚いた。
パイプオルガンは国内でも珍しく和楽器の音も鳴らすことの出来る超大型のものだ。
総座席数1833という、京都ではなかなか満員にはならないだろうと思える大型のホール。

本日の京響定期演奏会プログラムはモーツアルト交響曲第36番「ハフナー」とショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」で、指揮は世界的に有名なドミトリ・キタエンコ。

このプログラム自体「全く趣きの違う作曲家を組み合わせた変なプログラムやなあ」と思ったのであったが、パンフレットの解説によると京響創立50周年の今年に生誕250周年のモーツアルトと生誕100周年のショスタコーヴィチという全く違った曲を対比させ、旧レニングラード生まれで過去にショスタコーヴィチ・チクルスをCD発表したこともあるキタエンコの指揮で聴いてもらおうとのことらしい。

演奏はモーツアルトのハフナーから始まった。
まあ不快なところは全くなく心地よさはあったが、最初からこの曲には特に期待していたわけでもなく、京響の弦楽器のレベルが上がったなあとの感想くらいで終わった。

最近、茂木健一郎の監修のCDまで出ているほど生誕250周年を迎えたモーツアルト関連企画が目につく。

茂木健一郎のモーツァルト・モード茂木健一郎のモーツァルト・モード


確かに不快な音がなく曲の構成もシンプルなモーツアルトの曲を聴かせると植物がよく育ったといったことも聞いたことがあるが、マニアックなファンならまだしも、私のような凡人には有閑マダムのアフタヌーンティのBGMに最適な曲という意味での心地よさ「しか」提供してくれない。

少なくとも芸術というのであれば、魂がゆさぶられるような衝撃があるものを私は好むし、大体がモーツアルトのほとんどの曲は独奏や小規模室内楽での演奏向きのシンプルな曲であるので、それをフルオーケストラで演奏されても物足りなさを感じざるをえないのであった。

今回はそれは織り込み済みであったので、さらっと流して聴き、いよいよ本命のレニングラードの演奏。

キタエンコの指揮では不自然に熱狂的になりすぎず、かなり落ち着いたテンポ設定で、曲中のパートごとの対比をしっかりと聴かせ、全体的なバランスもうまくまとまっていた。

レニングラードは普段CDではゲルギエフのものを好んで聴いている。
そんな中、最近晩年のチェリビダッケ指揮、ショスタコーヴィチ第9番のCDを聴いた時の衝撃にも似た今回の演奏だった。

もちろんモーツアルトの時のように「不快ではない」といった感想ではなく、完成度の高い生演奏に触れて激しく魂を揺さぶられた感じ。
「感動」して頻繁に鳥肌が立った。

そう、CDでの「ヒット」には「感動」は求められておらず、「快」が求められるのであった。
逆にコンサートでは「快」ではもの足りず、「感動」が求められる。
クラシックに限らず芸術性を求めたいミュージシャンほど、「感動」のある曲はヒットが難しいので、今は「ライブ」に活動の道を求めるのではなかろうか。

それにしても京響は20年くらい前と比べると、随分レベルが上がったものだ。
レニングラードによく登場するピアニシモでの表現に若干の不安定さがあったが(これが完璧だったら世界的に一流)、以前のように難曲を取り組んだ際に演奏するのがやっとこさでミスも散見されるということは全くなくなった。
あと、金管楽器のパワー不足を感じてしまったが、これはおそらく国内のオケ全てが該当することだろうから致し方なく、音色が上品であったのと打楽器でパワー不足をうまくフォローしていたのでよしとしよう。
楽団員の年齢は以前と比べると随分若返った感じで、これからの成長も大いに期待できるオーケストラだ。
HMVジャパン

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