2006/03/10 金曜日

地域ネットコミュニティ

Filed under: PCネット・ビジネス — 咲本 @ 01:21:37

田坂広志氏「風の対話」予見力シリーズ第3回
「螺旋的発展」を引き起こすネット革命
を拝聴した。

http://www.hiroshitasaka.jp/taiwa/kaze.php
または音声ファイル直接ダウンロードをする場合は
http://www.hiroshitasaka.jp/contents/kaze-060114.wma

内容については聴いてもらったほうが早いが、ちょうど2月17日に地域の複数商店街の方々に「商売繁盛とインターネット道」と題して講演させていただいた内容とよく似た指摘をされていた。

すなわち、ネットコミュニティというのは地域コミュニティと似ている。
昔は助け合いの文化というのが地域にあった。
その助け合い・教え合いの文化がネット上で復活している。
ボランタリーな文化が消えかかっていたところに、ネット革命で復活した。

「進化」ということにも触れられてていて、
進化とは古いものが淘汰されて全て新しいものに置き換わるわけではない 。
古いものもそれはそれとして存在しながら新しい種が発生していくのであり、世界が多様なものとなっていく姿が進化である。
そして、「未来進化が起こるときに同時に原点回帰が起こる。」

といったことであった。

さらに私が補足すると、歴史は後戻りすることはできないのであって、崩壊しかかった地域コミュニティを活性化するには、ネットコミュニティをうまく活用することが、必然的に最有力な突破口となるわけなのである。

ミクロな商店街といった地理的集積点における顔の見えるコミュニティとしての動きだけで難しければ、地域という面全体を地理的拡散とは関係のないネットコミュニティによって再結集させていくべきなのだ。

私はあくまでもネットコミュニティと言っているわけで、従来型の一方的情報発信型の地域コミュニティサイトとは性質が異なるものとなる。これ、大事なポイント。

2006/03/09 木曜日

京都の料亭マーケティング:訪問第2弾

Filed under: マーケティング, 食べる・呑む — 咲本 @ 01:37:50

京都の人達もほとんど知らない某隠れ家的創作会席料理のお店に某料亭女将さんとお伺いした。

料亭外観

↑これが料亭の外観。

山にもほど近い閑静な住宅地の端のほうにある。
車の通行もない路に目立った看板も一切掲げずに営業されている。
古い民家を改装されたお店である模様。
初めてだったので場所が判りづらく、お店に到達するのに骨が折れた。

料亭玄関

↑玄関に入ったところ。
京都の歴史を感じさせる演出。

料亭個室

��

↑お通しいただいたのは、4人用の掘りごたつ式のお部屋だった。
各種骨董品や着物などが飾られている。
骨董品はオーナーのコレクション、手描き友禅はおじいさんが染織家だったらしくその影響か。

いわゆる接待向け料亭の雰囲気はなく、オーナーの趣味が色濃く反映されたお部屋の演出。

桐のタンス、古いミシンやアイロン、人形などが並んでおり、いい意味では常連さんが隠れ家的なお店でほっこりできるといった雰囲気。

反面「いちげんさん」や接待モードの場合には、個性が強い分好き嫌いが分かれるかもしれない。

お造り

↑舟盛り風お造り

椀物

↑椀物

ホタルイカとフルーツトマト

↑ホタルイカとフルーツトマト。変わった器。棚に収まっていたり、飾られていたりする陶磁器のコレクションもすごかった。お抱えの作家さんもいらっしゃるとのこと。
創作会席らしい一品。

蒸し物

↑蒸し物。これまた器が美しい。

牛肉ステーキ­

↑創作会席らしく?本来揚げ物であるはずのところに牛肉ステーキ山椒ソースがけ。
この器もかわっている。

お漬け物

↑これには圧巻!ご飯と一緒に出てきた山盛りのお漬け物。酒席で料理の量があまり食べられなかったり、好き嫌いの多い人であったとしても、締めとなるご飯にこれだけの漬け物が登場したら食欲がそそられるはず。

結局のところ、いくらこだわった食材と手の込んだ料理を提供したとしても、1週間も経てばどんな料理だったか忘れてしまうことが多いはず。

最後に山盛りのお漬け物でたらふくご飯をよばれて満足感を味わい、ほっこりとした「経験」はいつまでも残る。
また、凝った器に感心したことも、次回訪問時にはどんな器で出てくるのか楽しみになるという期待がもてる。

で、思い出して、「また、このお店でほっこりしよう」と再び食事に来たり、知人をとっておきのお店として誘ったりしてしまうことになるのだろう。

勿論、ご飯はおかわりした(^^;

デザート

↑デザートにはアイスクリームと白ワインゼリーを使ったものが。お昼は場所柄から考えても、ご婦人方が圧倒的に多いであろうことが予想され、そう考えたらこんなデザートが出てきたら、喜ぶ人は多いことだろう。

一番最後には会席コースとしては珍しいことにコーヒーをいただいた。
でも直前にデザートが出てきたことによって、何の違和感もなかった。

ただ、ひとつ残念だったのが、食後の感想を求めるべく、アンケート用紙を置いていかれたこと。
せっかくの雰囲気が台無しではないか。
ファミリーレストランのチェーン店であるまいし。

最初なぜなのか不思議であったのだが、おそらくは最近たて続けに3店舗オープンされたとのことで、バックに飲食系コンサルタントが付いており、その入れ知恵に違いないと思い、勝手に納得したのであった。

トイレ

↑清潔なトイレは飲食店の基本中の基本といわれるが、ここにはサプライズがあった。
高価な年代物風の絵が大きな鏡に映り込む姿がお見事!

オーナーは最近になって多店舗展開をされているらしく、持ち帰ってきたパンフレットには合計4つのお店が掲載されている。

今回お伺いしたのが、いわば本店で他のお店もこのあたり周辺に点在している。

その割にネットで調べてみても、公式ホームページは存在せず、ごく少数の口コミ情報が得られるだけ。

その他3店舗は観光地に立地し、昼は2,000〜3,000円程度、夜は5,000円程度で食事ができるので、いちげんさんの観光客でも十分取り込めるだろう。

ところが、この本店は観光地から少し離れた住宅地で、しかもたいへんわかりづらい場所。
お値段も昼が5,000円〜、夜が7,000円〜と飛び抜けて高くはないが、他の3店と比べると高価。

この本店がそれなりに繁盛しているようで、客として同席の某女将は「お客さんからよくこのお店の評判を耳にすることがあり、一度食べにいってみたら」と言われるらしい。
今回実際にお店にお伺いして、お客さんの口コミで常連の来客が拡がっている謎がわかった。

  1. まずは先程指摘したとおり、締めに出てくる種類が多く大盛りのお漬け物。
    ガブガブと食べられるお漬け物とご飯で締める満腹感によるほっこりとした経験は記憶に残り、再びその経験をしたくなる。
  2. 古い民家だとわかる室内、タンス・骨董品・着物・人形などのコレクションにより、古い実家に戻ってきたような感覚を想起させる雰囲気がある。
  3. 器へのこだわり。
    次回来店にどんな器が出てくるのか楽しみになる。
    昼間にお伺いしたので、スタッフのランクがいまいちだったかもしれず、普通の器も出てきたが、夜になると、お昼以上にこだわりを発揮される可能性がある。
  4. ホームページなど、いちげんさんが行くための情報がほとんどなく、場所もわかりづらいところが、かえって地元の常連さん達がひいきにするお店としての口コミを誘発することにつながっている。
    京都の人間は概してお気に入りのとっておきの店を知り合いに紹介する場合、有名料亭のように名前が知れ渡っているところを紹介することはない。
    このお店のように一般の人達が情報を持っていないことは、逆に口コミ発生には有利にはたらく。
  5. 価格設定を料亭としては比較的リーズナブルなところに抑えている。
    常連客をしっかりつかまえるには、15,000円以上のコースばかりでは高すぎる。
  6. ネットで発見。自社のホームページもないにもかかわらず、料亭らしい高級イメージのオリジナル商品を通販展開していた。お店には全くそんなそぶりがうかがえないということは、地元以外の商品購入者が京都観光の際、店舗に来てもらおうとの狙いもうかがい知れる。ちなみに店舗と通販とを事業として完全に分けているのは、地元での店舗のイメージが、通販に精を出していることによってマイナスイメージとならないように、細心の配慮がはらわれているためだと推察する。

来週末あたりに第3弾の会席料理訪問を行う予定。

夜は大阪市立大学の社会人大学院セミナー室へ移動し、関西ベンチャー学会理事会に出席。

いつものパターン?で終了後は先生方と呑み会となり、午後11時30分帰宅。

2006/03/08 水曜日

エドマンド・リーチ『文化とコミュニケーション』と全体的社会的事実

Filed under: 読書 — 咲本 @ 01:36:33

エドマンド・リーチ『文化とコミュニケーション―構造人類学入門』

私の議論の核心は、通常の非言語的コミュニケーションはちょうどオーケストラの指揮者が聴衆に音楽的情報を運ぶような形で成しとげられるという点であり、それは書物の著者が読者に言語的情報を運ぶやり方とは異なるという点である。この議論から導かれる主要な命題は、記号と象徴はともに不可分一体となって意味を伝えるのであり、二項的記号が直線上に連なって組合わさった一つのセットや、隠喩的象徴が範列的連合のなかで互いに呼応しあった一つのセットという形だけで意味が伝わるわけではないということだ。この点を別の言い方でいえば、われわれは対象とする文化の脈絡、つまりその舞台の背景について多くを知ったのちでないと、メッセージの解説にとりかかることはできないのである。(p.189)

加えて、諸細目から全体的社会的事実(包括的全体)へといったダイナミックな関係性への注目。

ある方法による企業へのアプローチは全体的社会的事実のひとつの局面にすぎず、そのアプローチだけに頼ると、全体的社会的事実から切り離されたものとなり、その途端に意味をなくしてしまうということ。

これらを前提とせずして、企業に最初から決まりきったフレームワークをあてがおうということは明らかに誤っている。

われわれは、ビジネススクールのアバウトなケーススタディには決して記述されないような諸細目への注目から焦点的感知をもって包括的全体と至ったり、逆に全体的社会的事実から全体従属的に諸細目への理解に至るわけであって、隠喩的象徴や範列的連合をいくら取り上げてみたとしても、包括的全体の意味とは非なるものにとどまるのである。

2006/03/07 火曜日

Web2.0 BOOK

Filed under: PCネット・ビジネス, 講演・講義 — 咲本 @ 03:26:53

3月2日にインターネット・マーケティング講座の教科書を書いたが、これに参考書を1冊追加。

Web2.0 BOOK 『Web2.0 BOOK』


著者のお二人はブロガーとしてもお馴染みの論客。

本書を読めば、誰でもWEB2.0の概要が理解できると考える。
ちょうどこの本が発売されてホントよかった。

なぜなら、いちいち教科書として講義で取り上げるということではなくて、あくまでもWEB2.0の参考書として個々に読んでいただいき、その上でWEB2.0に関係する課題を出すので、そちらに取り組んでもらうことをやりたかったからである。

しかしこの「WEB2.0」という表現、ほかにもっとしっくりくるものがないものだろうか?

しっくりこないということは、WEB2.0なるものがまだまだ過渡的状態であって、これはよい意味では、ある一部の人にとっては大きなビジネスチャンスが拓かれているということでもあるのだろう。

追記
今後のビジネス動向としてWEB2.0に興味のある方は、こちらのイベントにも参加すべし。

2006/03/06 月曜日

沈黙交易とネット社会と内田樹(1)

Filed under: 読書 — 咲本 @ 06:55:32

今村仁司『交易する人間(ホモ・コムニカンス)ー贈与と交換の人間学』がメチャおもしろい。

交易する人間 まだ途中までしか読んでいないが、このペースだと一気に読んでしまえそう。

今村氏といえばフランス現代思想、とりわけアルチュセールな人、ということはマルクスの読解に主要関心事のある社会哲学者だと勘違いしていて、今まで読んだことがなかった。

ひょっとして本の帯に「人間存在の根源を追求する今村理論の新展開!」と書いてあるとおり、ホントに新展開なのかもしれない。

タイトルを見るだけでは、アルチュセール→マルクスの再読解→経済人類学的にもマルクス主義学派に興味がある→M・ゴドリエの理論を展開なのかなあと思ってしまう。


ところが、実際にはデュルケム→マルセル・モースの全体的社会的事実から発する議論に真正面から取り組んでいる。

今村氏のいう交易とは経済学的な意味だけを指す狭義の意味ではない。
これには自然と人間との交易や神との交易も含まれる広義なものなのだ。

そもそも経済的交易だけを宗教や政治などから切り離すことなど、非市場社会ではできないことなのであり、だから全体的社会事実として捉えないといけないわけである。

と、この時点で難しいことを言っているなあ、と感じる人もいるかもしれない。

そこで話を橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』に話が飛ぶ。

乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない 橋本治ちゃんが鋭くも指摘しているのも、全体的社会的事実をズタズタにしようとしている資本主義経済下でなされている、つまりは現在エコノミストなどが行っている議論にそれはおかしい待ったをかけているのである。

例えば「勝ち組、負け組」という言葉の背後にある思想について。

橋本治ちゃんは今村氏の行っている議論の土俵にまで入り込むと、自身の身にあてた平易な言葉での議論にならないと思ったのか、それを慎重に避けているように思えなくもない。

が、はっきり言って、今村氏も橋本氏も同じ問題に迫ろうとしていると考えられる。

一方はアカデミックに根源に迫ろうとし、もう一方は等身大の経験の範囲内で。


この先に続く話は最近「経済」「交易」「市場社会」の根源的意味は?というものを書いたので、そちらをご覧いただくことにしたい。

読まれると、私が2002年から指摘している沈黙交易とネットオークションの関係というところに話が結びつくことがわかっていただける。

と、なんだかんだで「沈黙交易」でググッてみると、内田樹の研究室: ジュンク堂と沈黙交易なるページを発見。

読んでみると、2004年4月3日投稿のページに発作的に思いついたとして、私の指摘とよく似たことが過書かれているではないか。

さらには著書にまで書かれている模様。

死と身体

う〜む、ググると私のページがすぐに出てくるはずなのに「アイデアをパクらせてもらうでえ〜」とか「ヒントもろたで〜」なんていう挨拶もなかったなあ(^^;

ブログのタイムスタンプを見てもらっても、さらに遡ってそもそもメルマガで書いたコラムが最初なので、「まぐまぐ」の発行日を見れば私がどれだけ早い時期に指摘していたかの客観的証拠はあるわけだ。
まあよく似たアイデアを出す人もいるということで、内田氏のアイデアと私の指摘とがどのような関係性にあるのか読んでみようと思う。

それにしても私の場合には、このアイデア自体を強く主張するにはまだまだ弱点を抱えていて危険だと思っていて、せいぜいのところオンライン上に書いてみる程度。
内田氏はよくぞ書籍にまでしてしまうもんだなあとある意味感心する。
まだ本は読んでいないが、ブログを読んだだけでは、たいへんいい加減で中途半端な主張であるように思えてくる。

実はこの話題、ネット社会に見受けられるたいへん多くの問題と絡んできそうで、とっても興味がわいてきている。

カール・ポランニー、バタイユ、デュルケム、マリノフスキー、メアリー・ダグラス、エリアーデ、レヴィ・ストロース、E・リーチ、柳田国男らの書籍は既に読んでいて、かつ手元にあるわけなので、あとはマルセル・モースの贈与論、マーシャル・サーリンズの経済人類学、ブローデルの市場社会前の交換の姿、これらも再購入して読み直し作業をしていくことにしたい。

本業がおろそかにならない程度に(^^;

2006/03/05 日曜日

一日に二度聴いたチェリビダッケのブルックナー交響曲第8番

Filed under: (主にクラシック)音楽 — 咲本 @ 18:31:57

休日らしく?最近CDを入手したばかりのセルジュ・チェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団演奏のブルックナー交響曲第8番ハ短調(ノヴァーク版)を聴く。

クラシックファンならずとも、第4楽章の冒頭部分はよくBGMに利用されているので、耳にしたことがあるはず。

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ノヴァーク版)

いやあものすごい演奏で、1時間40分にものぼる大曲に鳥肌が立ちっぱなしだった。

あまりにも感動したので、今聴いているのは本日二度目。
どんなところに鳥肌が立ったかというと、

  1. 18歳の頃聴きに行って大いに感動した薪能に通じるともいえる美的感覚。強いて言えば、ブルックナーとは全く毛色の違った曲だと思われているにもかかわらず、ジョン・ケージ作曲「龍安寺」を聴いた時の感覚に近いかもしれない。的美意識?
  2. それはなんともいえない音の消えていき方と無音の状態、無音の間(ま)の取り方の妙味。
  3. 全体的にスローテンポであるのに、冗漫なところは微塵も感じさせず、ひとつひとつの音を味わえる
  4. 安易な感情的表現は感じられないのに細部に至るまで緻密で表現力豊か。
  5. フォルテシモが長く続いても、金管楽器は苦しそうに息の乱れを感じさせることなく、太くて渋い音色でかつ繊細に演奏しきっている。

う〜むと、演奏の素晴らしさに唸りつつ、付録の解説中にあるチェリビダッケのご子息による解説を読むと、

ブルックナーは父の人生において、特にその後半生において最も重要な作曲家でした。ブルックナーはいわゆる「終わり」と「始まり」というコンセプトを音楽で表現することに成功したという意味で父にとっては特別な存在だったのです。(中略)
父は、音楽のいわゆる解釈ということを嫌っており、むしろ音楽の中でその瞬間瞬間に起きる現象に耳をかたむけるという思想を持っていました。そしてブルックナーの作品の中では、その「終わり」からの「始まり」と、その過程で起きるあらゆる現象が見事に体現されていると思っていたのです。(中略)
「終わり」からの「始まり」というコンセプトは父にとっては絶対的なもので、ほとんど「再生」と同じ意味を持っていたようです。

と書かれている。

さらには映画「チェリビダッケの庭」についての解説で

いわゆる禅の「輪廻」の思想は父が全ての音楽に対して持っていたものですが、特にブルックナーでそれを表現できたのです。

とも書かれている。

日本の指揮者からは未だ日本的ともいうべき美意識を感じたことがないのだが、とりわけチェリビダッケから日本を感じるのは、これら解説されている佛教的側面によるところが大きいのかと思う。

先程「龍安寺」と書いたが、実際のお寺のイメージでいうと「高大寺」のライトアップといったところか?

もうひとつ実際の音楽と解説とを照らし合わせてとても気になったのは、

父は、音楽のいわゆる解釈ということを嫌っており、むしろ音楽の中でその瞬間瞬間に起きる現象に耳をかたむけるという思想を持っていました。

という箇所。

チェリビダッケは佛教的思想を持ってはいるが、というか、であるがゆえに、ロジカルに音楽を組み立てていくことを第一にするわけでなく、佐渡裕のように音楽に酔いしれつつ熱情的になるわけでもなく、瞬間瞬間に起きる現象に耳をかたむけるわけなのである。

つまりは自分自身の美意識を暗黙知的にその瞬間瞬間の音に潜入しながら表現していくとでもいうべきか。

こうしてブルックナーが好きな一般的クラシックファンからすれば、一見解釈しすぎてものすごくクセのあるブルックナーと評されるであろう演奏となる。

でもチェリビダッケ自身はそこに奇をてらう目的など微塵もないどころか、いたって自然で心地よいサウンドであると思っていたことだろうし、私もそのように感じるのである。

クセがあると評する人達は、それは「ブルックナーの交響曲とはかくあるべし」と、大多数の演奏に共通する特徴がないと不安になってしまうということだけなのだろう。

余談ではあるが、大編成のオーケストラとなるブルックナーの交響曲を、ここまで神経をいきわたらせた演奏をするには、とんでもなく時間をかけて猛特訓をしたに違いない。

楽団メンバーは練習が相当つらかっただろうなあ。
HMVジャパン

2006/03/04 土曜日

沖縄料理屋で話は弾む

Filed under: 食べる・呑む — 咲本 @ 10:23:53

仕事を終えた後、その足で某公的機関お勤めの女性と某制作会社お勤めの男性、3人で沖縄料理のお店へ。

1時間くらいしか睡眠をとっていなかったのだが、こういう時にはなぜだかテンションが高くなってしまう(^^;

ノンアルコール生活を続けてからは、睡眠不足のときには決まって呑んだ席でのトークのようにハイテンションとなるのであった。

某制作会社の方は急な仕事が入ったようで(夜9時というのに) 、早々にすぐ近くにある会社に戻られた。

某職員の方も長引いていらっしゃる風邪も影響してのことなのか、舌好調。

気がつけば食事も初めに頼んだいくつかの品だけ、私の飲み物はシークァーサーのサイダー1杯だけで閉店までの4時間くらいの時間があっという間に過ぎた。
ひょっとすると、ついついけっこう大きな声で会話していたかもしれない。

店側からすると迷惑な客だったかも(^^;

会話内容は主として仕事絡みの話でとっても面白いものであったが、ここには書けないなあ(^^;

食べたものは好物の島らっきょう以外は覚えてないほど弾んだんだけど。

疲れ果てて、しかしとっても濃厚な時間に満足もしつつ帰宅。

たまらなく速攻就寝。

2006/03/03 金曜日

関西ベンチャー学会「医療・福祉研究部会」のプレ打合せ会に参加

Filed under: 関西ベンチャー学会 — 咲本 @ 00:55:28

関西ベンチャー学会に新しく立ち上がる予定の「医療・福祉研究部会」。
本日は大阪産業創造館で開催されたプレ打合せ会に参加。

少し遅刻して到着。

主査である神戸常磐短期大学の日野先生の進行により話がすすめられていて、参加者は10名ほど。

プレ打合せ会であるだけに、このミーティングに集まった者が研究部会のコアメンバーと位置づけられる模様。

私自身は医療・福祉分野にお客さんがいるわけでもなく、全く知識がない。

ではなぜ参加したかというと、

  • 知らないがゆえの強い好奇心
  • この分野にはCSR(企業の社会的責任)やまちづくりのヒントとなるような事柄がたくさん眠っているのではないかとの期待
  • ドラッカーが『非営利組織の経営』なる本を出しているが、医療・福祉分野における非営利組織でマネジメントがうまくいっている事例を研究して、営利組織のマネジメントにも活かしたいとの期待

こんなことを考えてのことであった。

おかげで今年研究する課題が増えそうだ(^^;

情報通信と医療・福祉にまつわる研究発表というか問題提起なんてことで、そのうち出番がまわってくる予定。
ミーティング終了後は近くのベルギービールのうまいお店で呑み会。(もちろん私はノンアルコールビールで参加)

医療・福祉研究部会呑み会

写真の向かって右手間が日野先生、左手前はつい最近日経新聞からの出向で(社) 日本経済研究センターの大阪支所長になられた坂川氏、紅一点はベンチャー?社長のAkkoさん、奥のテーブルも同じ集まりで、ちょっとわかりにくいが幹事の藍木@ドーチェ社長さんもいらっしゃる。

2006/03/02 木曜日

インターネット・マーケティング講座の教科書

Filed under: マーケティング, PCネット・ビジネス, 講演・講義 — 咲本 @ 01:10:42

デジタルハリウッド大学院の第1セメスターで行うインターネットマーケティング論の教科書をやっと決めた。

悩んでいたのは「インターネット・マーケティング」講座の教科書をどうする?」で書いたとおり。

結論的には参考書を含め4冊をあらかじめ購入してもらうことにした。

統合マーケティング戦略論そのうちの1冊は『統合マーケティング戦略論』にした。
今のところドン・E・シュルツ一派が、大きなマーケティング論の潮流の中において現場サイドからすると一番的を得た議論を展開しているのではないかと思う。

コトラーの本あるいはその一派の本は悩んだ挙げ句、却下(^^;

マイケル・ポーターと共に大嫌いなコトラーとはいえ、先日の講演でもしっかり取り上げたわけだし、教科書としてしっかり勉強してもらった上で、大学院生達にボロカスに批判してもらうのもよかろうとも一瞬思ったのではあったが。

改訂シンプルマーケティングもうひとつの教科書は森行生さんの『改訂シンプルマーケティング』

翔泳社刊がずっと品切れのままだったが、ちょうど改訂版が出たばっかりで助かった。

どうしても欧米流のマーケティング論だけでは、商品やサービスへの「まなざし」が甘いというか、「施策」のようなものだけで突破しようとの姿勢が強すぎるのだ。

そこは日本を代表するマーケターの本から学んでいただくというところでフォローしておかないと。

あとの2冊は参考書として購入してもらうもの。

価値共創の未来へ1つ目は プラハラードの『価値共創の未来へ』

巷では「エクスペリエンス・マーケティング」なんていったネーミングで小手先のTipsが語られる機会が増えてきている。
こちらはTipsや解答がないところを議論の的にしているもので、そこがかえってスリリング。
そもそも暗記物の知識だけで商売がうまくいくわけがないのだ。
課題図書として何らかの取り組みをしてもらう予定。

RSSマーケティング・ガイドもう1つの参考書は『RSSマーケティングガイド』

4冊の中で唯一のインターネット系書物(汗)

でも教科書にはせずに参考書(^^;

ネット系の取り組みって時々刻々状況が変わってくるので、なかなか教科書で勉強してもらうというのは難しいのであった。

それに「読む」という以外に「体感する」というところがとても重要。

こちらの本も読んでもらった上で何らかの課題を出す予定。

今のところ4月後半に最初の講義を行い、その際に課題をたっぷり与え、GW終了後の第2回目から本格的な講義が始まって、7月中に全ての講義が完了する段取りとなっている。

そう考えれば、ちょっとハードかもしれないが、最低限必要な知識とスキルを付けてもらうためには頑張ってもらうしかないのだ。

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