組織内の不具合を楽しむ
組織内での問題点続出の毎日。
だが、それが楽しくて仕方がない。
このように言うと不謹慎のように思えなくもないが、実感としてそうなので仕方がない。
→「仕方がない」の連発 (^^;
なぜなら、問題点がわかり、それを解決していくたびごとに、組織はよくなっていくわけなのだから、それは楽しい事柄になるのである。
今まで解決するべく話をする相手が現場の方達の中になかっただけのこと。
私がそういった存在になればよいということ。
組織内での問題点続出の毎日。
だが、それが楽しくて仕方がない。
このように言うと不謹慎のように思えなくもないが、実感としてそうなので仕方がない。
→「仕方がない」の連発 (^^;
なぜなら、問題点がわかり、それを解決していくたびごとに、組織はよくなっていくわけなのだから、それは楽しい事柄になるのである。
今まで解決するべく話をする相手が現場の方達の中になかっただけのこと。
私がそういった存在になればよいということ。
高台寺庭師、北山安夫氏の言、
己と自分の何が違うのかというと、私なりの言葉の使い分けなんです。「自分」には敬愛の意味が含まれていて、要するに自分を愛するということです。一方、「己」は利己的な「我」を表している。そういうメリハリを自分の中でつけたほうがいいと思っているということです。・・・・・「己を出さない」ということ自体、ものをつくって人に喜んでもらうことに通じていくわけですからね。言葉はともかくとして、その中にある魂が大事なんです。
とあるベンチャーは、現役員3名のうち、2名が新興宗教団体の信者、代表名と宗教団体でアンド検索をすれば、イロイロ出てくる。
監査役もその信者であり、ということは、このベンチャーは宗教色にどっぷり染まったベンチャーである。
例外となる役員一名もポチのように代表に従う人物なので、宗教団体からすればエサを見えるようにしつつ、こき使っていけばよいだけ。
うわさによると、このベンチャーは新しいマスメディアをモバイルで作ろうとしているようで、それはどのようなメディアとなるのだろうか?
それを信仰している関係者から聞いた話によると、その教えの中には「嘘をついてはいけない」という、いわば当たり前の教えがあるらしいのだが、このベンチャーの代表の最も得意とするのが、大嘘をもっともらしく即興なのに堂々とつくことができること。
この宗教団体に所属しつつも、その教えともほど遠く、しかも教団の月刊誌にも連載コラムを持ったことのある代表は、どのような経営をするのだろうか?
私の予想に反して、大成功すればそれはそれでよかったね、と言いたい。
昨日5/5こどもの日は某セミナーを一日受講していた。
セミナー自体たいへん有意義というよりも私の仕事に不可欠ともいえるものであったのだが、そのセミナーにバレエダンサーとして有名な某方と一緒に受講するということになった。
席はなんと隣同士。
実は偶然会場に向かうエレベータからすでにご一緒だった。
毎日トレーニングを欠かされないとのことだけあって、当然ではあるがスタイルが抜群。
バレエダンサーとはいえ、アート的側面よりも体育会系側面を強く感じた。一言でいうと「アスリート」。
もっとも印象的だったのは、質問を具体的なところを直球で投げかけられるところ。
それ以外で隣だから感じたのは、聴く際の姿勢を最低でも3分ごとくらいに変えられるところ。
これは無意識的なものなのだろう。
おそらく一定の姿勢をキープし続けるというのが、カラダが「NO!」というのだろう。
とはいえ、どんな姿勢に変えても、姿勢自体はよく、とっても格好がよいと思った。
あと、香水や香りの強いシャンプーをつけられているわけではなく、無臭に近かった。
メイクもマスカラ等のまつ毛系だけをちゃんとされていて、あとはスッピンに近い状態。
そこからは、セミナー終了後にもトレーニングをされるのかもしれないし、そもそもセミナー前にすでにトレーニングを済ませてこられたのかもしれないという、あくまでも日々のトレーニングありきの姿。
ファッションもすべてコットン素材で、おそらくオーガニックな嗜好があるのかなと思わせるものだった。
それにしても同じ日本人とは思えないような引き締まった素晴らしいスタイルをされていた。
さすが日本を代表するバレエダンサーだけのことはある。
昨日は関西の知人と久しぶりに赤坂で飲んだ。
その某A社長は語学教室と翻訳を主たるビジネスをされているのだが、現象学等ドイツ哲学専攻で博士課程までいった方なので、思想・哲学系の話題を安心してできる数少ない知人のひとり。
そんなインテリジェンスにあふれたイメージでありながらも、現場ベタベタというか、チラシ配りを迷った際のベースにされているくらいで、営業力・マーケティング力があるのだ。
そもそも、マーケティングが得意という方は世の中にたくさんいるが、その大半はマーケティング力なんて全く持ち合わせていない。
なぜなら、必要な売上を立てることができないから。
売上を立てられないのは、たまたま外部環境が悪いとか、利益を出すのに時間がかかるとかいうことではなく、あくまでもその方の能力が低いと考えるべき。
能力の低い方々のおかげでマーケティングという言葉が最近随分と陳腐な言葉のように思えてならない。
口先でいくらもっともらしいことを言っても、それだけではマーケッターではなく、高い実績が出せていないとすれば、それは偽物・まがい物であると断言しておこう。
前職においても誰だとは言わないが、そのようなことを感じる機会がたいへん多かった。
で、この社長は謙虚だし営業力あるし数字にも強く売上も右肩上がりで、あとは今舞い込んできているビジネスチャンスにいかにうまく乗っていけるかにかかっていてて、私としてはその具体的なご支援をさせていただきたいと思っている。
2日金曜日は関西のお友達である生島さんがメインとなる東京での交流会が開催されるとのことで、そちらに合流。
かなり久しぶりの再会であったが、ご本人は講演したり執筆したりコンサルしたりとご活躍のようでなによりだった。
15名ほどの交流会参加者の方々は、交流会に慣れていらっしゃるようで、熱い話が飛び交っていて、たいへんフレンドリーでもあり、この場にいることがとっても心地よい。
ビジネスにつながりそうな方にも出会えた。
その中でひとつ気づきがあったのだが、私がアロマのエッセンシャルオイルの中で一番好きなのが「ゼラニウム」なのであるが、ハーブ&アロマコンサルタントのMegさんいわく、この香りが好きな男性というのはかなり珍しいとのこと。
意味深な感じでニヤッとされてしまった(笑)
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コメント (0) Trackbacks (0)昨日標題のメールをとりあえずは最近メールを交わしている方々を中心にお送りした。
本当はまだまだお送りしきれていない方がたくさん存在するが、なかなか時間も取れずに無精している。
それほどの数をお送りしたわけでもないのにもかかわらず、かなり多くの方々からメールをいただき、タイピングののろい私は、そのご返事もまだできていない状態。
ほんまに申し訳ないかぎり。
4月に職場も住まいも変わったので、かなりドタバタしたが、信頼と尊敬のできるたくさんの方々に囲まれて、以前よりもかなり忙しくはなったものの、それがかえって心地よい。
前職では私を含め役員3名と監査役1名、顧問2名が同時に辞めたことは、前職のWEBの会社概要を見て、その変化にすぐにお気づきの方も何人かいらっしゃった。
残っている従業員の方々にはこれから大変かもしれないが頑張ってほしいと思っている。
前職時代にはなかった特徴は、格段に忙しくなっていること以外には、ずいぶんと夜の会食が増えたこと。
新しい出会いやそこから親交を深めることが多く、京都時代の夜のスタイルに戻ったような感じで、ビジネスの観点からはたいへんよい傾向。
もっとも多いパターンは関西で知り合いだった方が、現在は東京で活動されていて、その方と再会したところ、東京での友人をご紹介いただくというところから人脈が広がっていくというもの。
これが不思議なほど、ドンドンとビジネスに直結していく。
転職したばかりであり当分給料も出ないままなので、呑み代がかさむのはかなりイタいのだが、楽しすぎてやめられない(笑)
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コメント (0) Trackbacks (1)前日に少しばかりお酒を呑んだ翌朝、とある20代女性に1mくらい離れた距離から「お酒のにおいがしますよ」と言われた。
確かに呑んでいたとはいえ、本人にはお酒がまだ残っている感もなく、至って体調もよかったのであったのに、このような指摘を受けたことがちょっとショックだった。
そういえば、年齢を重ねてくるに従って、私から発生する「におい」について段々と配慮するようになってきたように思う。
自分の気づかぬうちに加齢臭がするようになってくるのが自然現象だとすると、それも当然のことなのだろう。
さて、そのような自分自身の「老い」を感じざるをえない年齢となってきて、「老い」ということと「若さ」ということについて、改めて考えてみた。
様々な側面から言えることは無数にあるのだろうが、今回は「思考」という側面から言えることの中のひとつが思いついたので、そのことだけ簡単に記述しておく。
「若い」ということは体力もあり、記憶力にも優れ、好奇心も旺盛だし、そもそも若いほうが脳細胞の数も多い。
ヒット曲に飛びついたり許容できたりする感受性にも優れているのであって、そういった部分は、若い人とカラオケに一緒に行ったりすると、すぐに理解できる。
「老い」というのはその正反対に進んでいくことを指すのであって、このように言ってしまうと一見ロクなことがないようにしか思えない。
でも、世の中ではいわゆる長老と呼ばれるような方々が多数活躍されているわけでもあり、あながち負の側面ばかりだとも言い難い。
そこで、「若さ」と「老い」とをわかりやすく二元論的に単純化して対比してみると次のようになるのではないかと考えた。
【若さ】
特徴:体力、感受性、記憶力
最も活かせる思考:付け加えの思考(付加価値を発見する思考)
【老い】
特徴:経験量、大局観
最も活かせる思考:そぎ落としの思考(要点を絞り込んだり問題点を発見する思考)
このように仮定すると、「老い」というのもあながち悪くもないようにも見えてくる。
(補足的には「ブルー・オーシャン戦略」で言われていることも、「そぎ落とし」をいかにするのかということが最重要課題であるかとも考える。)
すなわち、たとえばブレーンストーミングをやって、たくさんのやりたいことや面白そうなことが発生するばかりでは、どのように落とし込んでいけばよいのか、拡散していく一方となってしまう。
そこで「老い」ている人間の出番となる(笑)
と、書いてきてみると、実は私が当初肉体的な「老い」を想定していたことが、現実的には人によりけりだということも見えてくる。
さらには、一般的に「老い」に分類されるような年齢の方であっても、「若さ」(つけ加え思考)一辺倒で、一切の落とし込みのない方が多くいることも再認識してみたりする。
そういった側面も鑑みると、実際に肉体的に「老い」ていたらよいというものではないのだ。
それは、過去の「経験量」もさることながら、それらの中から発生する「経験の質」こそ重要であって、さらにはそれら「経験」から「学習して身になった一式」、その一式の差ではなかろうか。
ひとりの人間の中に「若さ」と「老い」とがうまくバランスをもって同居していることが望ましいとは思うものの、なかなかそのようなことになっていないのが現実。
ならば、会社内でこの「若い」人間と「老いた」人間とをうまくバランスを取ってやっていくことを意識して組織を作っていくということがポイントとなるのだろう。
追伸
前職で利用していた赤坂のマンションを4月12日に脱出して以後、やっとネット環境が整った。
どうして読売日本交響楽団が話をつけられたのかその経緯を知らないのだが、現在「ミスターS」ことスクロヴァチェフスキーが常任指揮者をつとめていて、ブルックナーの交響曲第5番のコンサートがあったので、何が何でも聴きにいこうとの想いで昨日はサントリーホールに行ってきた。
昨年も氏の手による第4番の演奏会があったので、80歳代半ばになるミスターSの演奏がいつ聴き収めとなってしまうかもしれないと思いつつ聴きにいったことを思い出す。
参考: ミスターSの常任指揮者就任記念のブルックナーを聴きにいった
なので彼のライブを聴くのは今回で二度目。
予想通り、会場に駆けつけたのは大半が男性であった。
「のだめ」のヒットによってクラシックへの関心がいくぶん高まっているかとはいえ、さすがにブルックナーとなると一歩も二歩もひいてしまう女性は多いことだろう。
演奏を聴いた感想は、もう今更記述するまでもなく、ミスターSがブルックナー演奏において世界中で絶賛されているだけのことはあり、一生耳にこびりついて取れないほどの凄さと感動をいただいた。
ブルックナーといえば、大編成のオケによる「これでもか」というほどの分厚く力強いサウンドを浴びせかけるイメージを持たれるかもしれないが、氏の手にかかると、まるで繊細な室内楽のようにその場その場に応じて的確に各パートを浮き彫りにさせ、「あれ、ここの部分はこんな楽器がこのような旋律を担当していたんだ」と再認識させられっぱなしとなる。
いったん楽曲のすみずみまで分析し尽くされていて、その上で緻密な再構築作業を行われているということが伝わってくる。
氏の指揮によって読売日本交響楽団がまるで海外一流オーケストラの演奏であるかのように、通常とは全く様変わりしてしまっているのだ。
このレベルの演奏をさせるということは、相当な練習量を伴ったのだろうということも想像できる。
まあそのあたりのミスターSの特徴は、以前のブログでも触れているので、ご参照いただきたい。
(たとえば) ブルックナー交響曲第5番聴き比べ
演奏終了後は拍手が鳴りやまず、その拍手は楽団員が舞台から立ち去ってしまった後まで続き、結局はその後にミスターSが舞台に再登場せざるをえなくなるほどのスタンディングオーベーションの嵐であった。
これが国内オーケストラの定期演奏会だということにたまげてしまう。
氏の手による格別にクオリティの高い演奏に接すると、国内オーケストラの水準がいまいち低いままである一番の原因となるのが、国内指揮者の水準の低さ、とりわけ楽団員への指導力のなさにあると思ったのは、私だけではないのではと思う。
と、久しぶりに感動に浸って地下鉄に乗って帰ろうとしたのだけど、帰宅途中に突如銀座の高級カラオケ店に参加することになり、そちらに合流。
腹が減っていた私はそこで高級店ならではのおいしい料理を食べながら、みんなで歌いまくっていたのであった。
クラシックコンサートとカラオケ、何とも馴染みにくい時間の推移を味わいつつの「花金」の夜であった。
トラックバック URI : http://blog.tokeidai.net/classical_music/mister_s_bruckner5_live/trackback/
コメント (0) Trackbacks (0)ちょっと遅ればせながらではありますが、今まで役員をしてきたフロントメディアを3月末で辞め、今は辞めた途端にほかのところで忙しく過ごしております。
どちらでどのような仕事をしているのかは、このタイミングではブログには書きません。
でも親しい方には改めてご挨拶メールをお送りさせていただきますね。
あるいはお会いさせていただく機会のある方々には、詳細についてお話させていただきますね。
いずれにしても、今ものすごく楽しくお仕事させてもらってますのでご安心のほどを。
あっ、メールはフロントメディアのものには送らないでください。届きませんので。
今後、私が辞めたフロントメディア社がどのような変遷をたどるのか、 要注目ですよ。いろんな意味で。